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大泉国際交流協会事務局長 坂井 孝次さん(邑楽町中野)

【略歴】新潟県三条工業高卒。大泉町の大手家電会社に40年間勤務。国の家電製品協会アセスメント委員長として、容器包装リサイクル法、廃家電リサイクル法の法制化に寄与。著書に『包装技術ハンドブック』(共著)など。

幸せの落とし穴



◎若いときに失敗経験を

 十年前、英字百科事典を図書館に寄贈させていただいた。「高いなー」と思いながらも、三十五年ほど前、迷わずに契約したことを覚えている。自分よりも年下の女性に、「英語を勉強されているのですか?」と心をくすぐられ、「素すてき敵ですね」の心地よい言葉に満足感を味わったからである。

 これに似た体験はもう一つある。「同郷ですね」「今を外したら、儲もうけのチャンスはありません」との自信に満ちた話に引き込まれ、商品相場に投資した。一カ月もしないうちにほとんどがなくなった。勝負でいえば、相手の完全な作戦勝ちである。しかも、電話の会話を聞いていた妻の母親に「危ないんじゃないの?」と、声を掛けてもらっていたのに…。洗練された言葉、儲け話、自信に満ちた話から「これはチャンス!」と判断してしまったのだ。

 友達の営業マンから面白い話を聞いた。木材会社の社長が店に来て「お前の会社のトラックは、性能が悪い上に高い」と言われたという。

 これに、「社長! スギとヒノキは値段が同じですか?」と問い掛けると、「ヒノキが高いに決まっているだろ」と予想通りの返事が帰ってきた。すかさず、「社長! ウチのあの車はヒノキですよ」と言ったら契約したそうだ。笑いながら「勉強していないな」と付け加えた。「客のうぬぼれを上手に扱うのが、営業のノウハウ」と言いたかったようだ。

 今、景気はかなりよくなったと聞く。夜の街は若い人でにぎわっていたし、火曜日なのに代行車の運転手も「忙しい」と言う。「若いときに羽目を外してよかった」と思った。

 しかし、残念だが、豊かな社会になったことで、羽目を外す機会が極端に減ってきているように思う。最大の理由は親にあるようだ。貧しい生活体験からか、それともうぬぼれからか、子供たちの要求を満たすことで自分自身も幸せを感じているからだろう。不自由を避けようとするのは自然の成り行きなのだが、ここに「幸せの落とし穴」があるように思えてならない。

 若いときだからこそ、失敗という経験をさせるべきである。若いときの失敗は多くの場合、自分の範囲内で問題解決が図れるが、大人の失敗は家族を巻き込むような悲惨なケースになることが多い。

 子供の幸せを願うあまり、自らを犠牲にしてまで厳しい環境から子供を遠ざけた結果の不幸とすれば、皮肉と言わざるを得ない。「かわいそうだから…」と手を貸し続けると、活力も魅力も感じられないばかりか、手に負えない大人になる。幸せを奪った結果と考えれば、当然の成り行きだ。

 最近、社会的地位のある人の醜聞をよく目にする。「あんなふうになりたくない」との意識はあっても、無意識にそのような環境をつくりつつあるのかもしれない。

 「三つ子の魂百まで」のことわざがあるように、「スピード社会に生まれた人には、昔の体験談など聞く耳がない」と言わんばかりの風潮もある。

 むしろ「落とし穴」を掘るのはやめて、これから直面する「うぬぼれをくすぐるような言葉」と対たいじ峙する気構えが必要な気がする。

(上毛新聞 2004年6月20日掲載)