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◎周りは柔軟な理解を 先月、伊勢崎市で七十三歳の夫が寝たきりの妻に暴行を加え、死亡させるという痛ましい事件があった。ストレスの多い現代社会において、子供やお年寄りという弱者への虐待が急増している社会現象に危機感を抱き、早急な対処が必要であると感じるのは私だけではないだろう。 特に高齢者に対する虐待は、その対象となっている人たちの多くに痴呆(ちほう)という病状が重なった場合、周りで危険度を察知できずにいるのが現状のようだ。子供が成長していく喜びがストレスを和らげてくれる子育てとは違い、老人介護はいつまで続くのかという先の見えないエンドレスの状態が、介護する側の精神的な負担となっている。普段、介護をしている人間にとって、いかにそのストレスを上手に処理するかが、介護される側の保護と同時に大変重要になる。 聞いた話だが、中国のモンゴル地方にある少数民族は、長男が一族を治めなければならないので、代わりに一番若くて体力のある末っ子が老親の面倒を見るそうである。確かに老人介護の場合、足腰が不自由なお年寄りを支えたり入浴させるときに体力が必要になる。実際に介護をしてみると、嫁や娘といった女性の力では限界のある場合が意外と多いことに気づく。長兄が家長となり、両親の面倒を見るという家長制度のある日本の文化と一様に比較はできないが、地方では、当たり前のように長男が両親の面倒を見るという風習も根強く残っている。 あるとき、長男というだけで結婚の対象に考えないという女性と話をしたことがある。しかし、そう考えると、高齢・少子化という現在ではかえって自分の選択肢を狭めているように思える。それよりは、相手の人となりをもっと重視すべきではないか。そう、一概に責めることができなかったのは、この女性が相次いで倒れた祖父母の看病をしている母親の姿を目の当たりに見て育ってきた、ということだった。そして、それが嫌なのではなく、自分では到底できないと感じていたそうである。 今日、介護する側を保護する声がようやく上がってきているが、一昔前までは、ちょっと息抜きをしただけで非難する声や、デイケアの車が迎えにきただけで近所に肩身の狭い思いをするということがあった。高齢者介護は、お年寄りの状況とその家族の事情に合わせて周りの柔軟な理解が必要だろう。それだけで、介護する側の神経も随分楽になると思う。 私は決して伊勢崎の事件の加害者を庇護(ひご)するわけではない。やはり、どのような状態でも暴力や虐待は絶対にしてはいけない。アメリカの場合は、介護施設に監視カメラが設置されており、職員の虐待や介護状況をチェックするという。実際、それで虐待が摘発されるケースもあるそうだが、かえって悲しいことである。 伊勢崎の場合は、近所との付き合いもあったと聞く。周りに分からなかったのは、やはり家庭内という密室の出来事だからであろう。介護保険を使い、施設や援助を頼む方法もあったのではないだろうか。ただ、介護保険も等級が上がると利用できる範囲が広がる半面、経済負担も増えるという悪循環がある。等級が上がるということは介護の負担も増すということなので、経済的な負担は何とか反比例されないかと願っている。 (上毛新聞 2004年6月13日掲載) |