視点 オピニオン21
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関東学園大学教授・附属高校副校長 高橋 進さん(足利市堀込町)

【略歴】東京学芸大卒。同大学院教育学研究科修士課程終了。日本体育学会、日本武道会などに所属。全日本柔道連盟専門委員で、谷亮子選手のトレーニングドクターを務めた。

柔道強化の現場



◎科学の目を養う時代に

 一九九九年十月、イギリス・バーミンガムで開催された世界柔道選手権は、私にとって非常に思い出深い大会の一つである。この大会で、私は全日本柔道連盟強化委員会科学研究部のメンバーとして、世界各国の強豪選手情報を入手する目的で日本選手団に同行した。当時八ミリビデオが主流であったと記憶するが、三班態勢で前試合の録画に当たっていた。

 確か、右隣はドイツの科学班のメンバー。左隣にはオーストリア。いずれにしても、かなり多くの情報収集メンバーが顔を連ねていた。言わずもがな、国際大会の会場では顔見知りが多い。会場に着くや「コンニチワ」と、外国人から肩をたたかれるのは常である。「007」には程遠い気の良いスパイたちがそろい踏みするわけだが、競技スポーツにとって情報収集や戦略の重要さを痛感させられる場でもある。

 さて、前評判通りの強さで、あの吉田秀彦選手が90キロ級決勝へ進出。世界選手権やオリンピックに出場するであろう海外強豪選手の試合ビデオは、それ以前にビデオ情報から選手別にまとめられ、科学研究部のビデオライブラリーに収められる。従って、大会前には、日本選手、強化コーチともにビデオ研究に支障をきたすはずはないのだが、吉田選手の決勝戦の相手は、全くのノーマーク選手。コーチ陣の焦りは隠し切れない。

 試合途中から「このノーマーク選手の試合ビデオを別テープへダビングせよ!」と命令が飛び交う。科学研究部員は常時、予備のビデオレコーダーを携帯してきているので、早速、該当試合のダビングを決行。予選ラウンド終了までにダビングを済ませ、コーチ陣に手渡せることができたが、決勝ラウンドまでの二時間余りがやけに長く感じられたのは、他の研究部員も同様だったであろう。

 待ちに待った決勝戦が始まる。吉田選手の対戦相手は、モルドバ共和国のフロレスク選手。ラグビーのタックルのような技、鋭い双手(もろて)刈りを武器に決勝戦へ進出したフロレスク選手は開始早々、吉田選手にこの双手刈りを仕掛けた。われわれ研究部員は一瞬、固唾(かたず)をのんだ。しかしながら、次の瞬間、吉田選手はこれを難なくさばいて、フロレスク選手を寄せ付けもしない。「よし、吉田の勝利なり」。心の中でそうつぶやいたのは、私だけではあるまい。結果は、吉田選手の圧倒。吉田選手からも試合後、お礼を言われたが、こちらこそありがたかった。

 ところで、現在はビデオカメラのデジタル化が進み、ハードディスクも大容量になったため、このような作業も楽になったが、もっと複雑な分析・解析が余儀なくされている。柔道という日本の運動文化を代表する種目だが、強化の現場ではスポーツ科学なしでは語れない。今やスポーツ・運動を理解することは、科学を理解することでもある。「スポーツを通して科学の目を養う」。そのような時代の到来は、喜ばしい限りである。

(上毛新聞 2004年6月8日掲載)