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◎経験則と発想の転換で 世の中、難しそうな話は山ほどあるが、簡単に「できないよ」「不可能だよ」と逃げていてよいものか。わが国の近代化に道をつけた明治維新も、身辺のテレビや携帯電話の発明も、明確に実現の道筋を予想した先達はあまりにも少ない。 筆者の発想法の原点に、ある要素が加わったのは、駆け出しの新聞記者のころの体験による。支局勤務の“サツまわり”だった。 その一は「全焼は全焼にあらず」である。宿直の真夜中に火事があり、住宅密集地の一角が火炎を吹き上げていた。夜明け、一家四人の焼死体が発見された。 悲惨な事件の記事に顔写真がほしい。父親と子供二人の写真はすぐに入手できたが、“出嫌い”だったという母親の写真はどこにもない。困りはてた。 家屋は全焼して、現場には何も残っていない。が、誰かが火事に気付き、消防署に通報してから全焼に至るまでの間に“途中経過”があったはずである。近所の方々が“見物”に終始したとは思えない。 火災の初期に「誰かが家財を運び出した」と聞き込み、自治会長宅に急行すると、何と黒く焦げながら原形を保った木箱が幾つか並んでいた。 拝み倒して開けてもらうと、アルバムがあった。一家の写真、母親の写真。借り受け、支局の電送機にかける。無事終了となる。 その二は「桃畑殺人事件」である。果樹園に他殺死体が見つかった。締め切り時間ぎりぎりに捜査陣が警察署に戻った。原稿は送っていた。顔写真を紙面に突っ込みたい。遠く離れた被害者宅に出かける時間の余裕はない。どうするか。 現場検証を担当した警部の癖を思い出した。ズボンの右ポケットを指さして、「そこにあるものを見せてほしい」と頼む。車の免許証が出てきた。引ったくるように借りて支局に走る。遺体が車とともに発見されたから、遺体は顔写真付き、と推理するのが筋というものだろう。 全焼といえども、結果がそうなっただけ。被害者自身が写真を持ち歩いて不思議はない。その後は難題に出くわすと、何となくパズルを解く気持ちで事件を楽しむことにしている。 なぜ、“新米”記者の取材体験を持ち出したのか。地域再生を願う筆者が言いたいのは「発想の転換」である。「田舎ですから」と肩を落とすのではなく、田舎の魅力を再発見したい。「不便なところ」は、貴重な文化・文化財が埋もれている可能性の証しかもしれない。 次に必要なのは“なせば成る”の信念と気概だろう、と思っている。何もかも、すべてがそうなると思い込む幻想は禁物だが、やって意外にできることはお互いの経験則ではないか。 実践者の好例に松下幸之助(松下電器)、井深大(ソニー)と本田宗一郎(本田技研)の創業経営者を挙げたい。ベンチャー企業発の常識破りの挑戦が果たした世界的貢献は素晴らしく、その“なせば成る”の頑張りは、いつまでも光を放っている。 (上毛新聞 2004年6月2日掲載) |