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◎人とのつながりつくる それは、山口県に住むYさんの母の死を知らせる電話だった。“さわやか”な電話でもあった。看病を尽くし、それに応えて百歳の天寿を全うしたYさんの母。尽くし、それに応えられれば、これほどに“さわやか”な死を迎えることができるのである。 それより半年前、Yさんから数え年で百歳になる母の祝いの手てぬぐ拭いの製作を頼まれた。肩書にもある通り、私は手拭い作家でもある。Yさんの母の長命は日ごろ信じる“立岩稲いなり荷様”と、さまざまに出会いを重ねた“皆さま”のおかげという。それに対するお礼の手拭いなのである。図柄には何の注文もなく、ただ目立たないように百歳の母の名とYさんの名前を入れてほしい、とのことであった。 私は奉納の幟のぼりを描き、大きな宝珠の隅にその名前を入れた。染め上るのももどかしく、さっそく、その手拭いはYさんの元へと届けられた。立岩様に奉納され、さまざまな人の手へ配られたその手拭いは“元気の出るお守”として喜ばれた。そしてYさんの母も、安穏の余生(今になれば)を授かったことを、一枚の手拭いを通してしみじみとありがたく思うのである。 高崎白衣大観音の慈眼院の先住、故・橋爪良恒師は、母の通夜の日の午後三時、一天にわかにかき曇ったその中に、龍の昇天を見たという。七回忌にあたり、その様子の手拭い図案を依頼された。私は真っすぐに天を目指す龍を黒の濃淡のみで表現した。 作品というものは製作者の手を離れたときから、一人歩きを始める。作者の知らないところで、その手拭いはさまざまの人のつながりもつくってくれる。二例を記したが、これらのことは、手拭い作家として一番うれしいことである。 生活の中の必需品であった手拭いがタオルに替って久しい。文明の名のもとに、機能ばかりを追い続けた現代。その現代の忘れ物が、手拭いの中にあるような気がしてならない。もし、Yさんがお礼としてタオルを配ったことを考え、良恒師から七回忌のタオルを依頼されていたとしたら…。そこに感動というものが伴なったであろうか。 それでも手拭いは消えつつある。船橋市在住の手拭い研究家、豊田満夫氏によれば、手拭い専門の図案が描けるのは日本で数人であろうという。ただ図案を描くのでなく“注ちゅうせん染”という技法に添わないと、その柄が染まらないからである。 この欄の一回目から邦楽などを通して“伝統”ということを書き連ねているが、それがどの分野であれ、伝統ということを重視することは時代の逆行につながる。言葉を違えれば、伝統は消える運命を背負っているのかもしれない。それゆえに私は頑張れるのである。紙上を借りての邦楽関係の執筆も、そしてこの欄も…。そんな私のささやかな努力を、どこかの知らない人が読んでくれていると思うと、心強いものがある。伝統、決して消えるものではない。 (上毛新聞 2004年5月9日掲載) |