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◎行事守って心を一つに 私の住んでいる所は、川場村の中心より二キロほど離れた十軒ほどの集落です。越沢と呼ばれる所ですが、ここには「愛あ宕たご様」といって、火伏せの神様が祭られていて、はるか昔から伝わっている小さな祭りがあります。 「天明の飢饉」の時代は、すべての作物が不作で、食べる物がなく飢え死にする人もあり、大変だったそうです。集落の人たちが、食べる物を探して裏山へ「ところいも」掘りに行き、帰ってみたら、火事で全部焼け落ちて、たった一軒だけが半分ほど残っていたのだそうです。 そこで二度とこんな目に遭わないようにと、火伏せの神として伝えられている愛宕様を祭り、お日ひ待まち講といって、宵から夜明けの日の出るまで、皆でお祈りをして明かしたのが祭りの始まりだったとか。それから現在に至るまで、ささやかながら、ずっと続いているのだそうです。 裏山の小高い所に小さな石宮があり、「大正十四年旧二月二十四日 再建」と刻まれ、「宮守小林源之助 越沢一同」とあります。屋根に菊の花片の紋章が刻まれています。旧暦二月二十三日に皆で参道の掃除をして、幟のぼりを立てて祭りの用意をします。日ごろ、全員で顔を合わせることはなかなかできないので、このときは一休みしながら世間話に花を咲かせて親ぼくを深めます。 以前は春と秋の二回、お祭りをしたのですが、最近は時代も変わり、農業の形態も変わってきているので、年一回、春に行っています。お日待講は毎年、家順に当番が決まっていて、その夜は当番の家で会費を出し合って酒しゅこう肴を用意し、一戸一人が集まって宴会となります。昔は堅く、太陽の昇るまで集まっていたそうですが、今はそこまではしません。 今年は私の家が当番でした。老年、中年、若い人も集まり、地区のこれからについて意見を出し合います。若い人たちの声にもなるほどと感心したり、年寄りの経験も参考にしたりと、有意義な集まりでした。これからも力を合わせて、この小さな祭りを続けていこうと話し合いました。 翌二十四日は女の人たちで愛宕様にお参りに行きます。「おさご」といって、お米を少し供えたり、お赤飯やお神酒を供えます。一昔前までは子供の数も多かったし、今ほど物があふれておらず、子供たちにはお菓子をあげたので、皆喜んでお参りしたものです。今は子供の数も減り、大人だけの祭りみたいになってしまいましたが、火災予防は切実なものがあり、しっかりお祈りをしてきました。 私たちの所は、つい数年前まで、一家の大黒柱が病気で倒れると、稲刈りや田植えなど皆で手伝いに行き、応援したものです。現在はいろいろと大型の機械が入って、その必要もあまりなくなってきましたが、困ったときには、お互いに手を差し伸べるということが自然にできます。これも、お日持講などの行事を皆で守り続けてきたことが、皆の心を一つにして、まとまっているからではないかと思われます。 (上毛新聞 2004年4月25日掲載) |