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◎相手を思いやる気持ち 私の学生時代の野球部寮に「不如人和」という言葉が額に飾ってありました。“人の和にしかず”。これは、早稲田大学の初代野球部長として、東京六大学の発展に多大なる功績のあった安部磯雄先生が述べられたものです。つまり、「チームワーク」こそ最も大切である、ということでしょうか。 私は長いこと、高校野球に携わってきましたが、教えることの難しさ、勝負の怖さ、野球の奧行きの深さ等に行き詰まることが、たびたびありました。そんな時に、この言葉が私の心にあったことが、チームの方向を誤らずにやってこれたのだと思っています。 私がこの「不如人和」の持っている意義を実践するために、選手に求めたものは、野球の基本であるキャッチボールを徹底させることでした。毎日、練習の始めに必ずやっているキャッチボールを、ほとんどの選手が「たかがこんなことぐらい」と思いながら、手を抜いているのです。 キャッチボールが満足にできない者が、いざ試合になって、正しい送球ができるだろうか。ほとんどの選手が練習の始めに機械的に行われるものとして、それほど重視していないように見受けられました。 キャッチボールは、考えもなく相手めがけて投げるのではなく、正確なコントロールをつけること、また、あるときは正面より左右いずれの球に対しても、フットワークを使って身体の正面で捕球するくらいの心掛けが必要です。 正しいキャッチボールを身につけるということは、相手に対する礼であり、思いやる気持ちでもあるのです。「思いやり」があれば、キャッチボールはもっと上達します。このちょっとした「思いやり」が、チームプレーの根本精神でもあるからです。 私は機会あるごとに「心のキャッチボール」という言葉を使っていますが、キャッチボール(思いやり)ができるようになると、ポジションごとの連係プレー(心配り)に発展し、チームプレーに育っていくのです。 こうなれば、しめたものです。お互いが自分の「役割と責任」を果たし、チームのために協力し合い、チームの全員に感謝できるようになり、選手の意識はこうして高められていくのです。 監督がサインを出す。選手はなぜこの場面で、このサインなのか、それから起きるさまざまな試合展開を瞬時に認識し、果敢に行動する。こういう選手が育ってくれれば、本望ではないでしょうか。「不如人和」というのは、こういうことだと思います。 選手が正しいキャッチボールを身につけることができれば、野球というスポーツをもっと楽しいものにすることができます。 まさに「たかが野球」であっても、私には「されど野球」です。 昨年度でユニホームを脱いだ私は、この野球に出合ったことを、ありがたい(難レ 有)ことと感謝しております。 (上毛新聞 2004年4月16日掲載) |