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◎タウト通し逸材育てる ブルーノ・タウトは一八八○年五月四日、バルト海に面した旧ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルクに生を受けた。この地は、タウトが影響を受けた大哲学者カントの故郷でもある。タウトは二十世紀前半、「鉄の記念塔」や「ガラスの家」「馬蹄(ばてい)型住宅群」など多彩な作品を次々と発表し、国際的に高い評価を得た。一九三一年から三二年にかけてソ連にも滞在したが、これが三○年代初頭に台頭してきたナチスの反感を買い、辛うじて逮捕の手を逃れて日本にたどり着いたのが、福井県敦賀の港である。三三年五月三日のことだった。 翌三四年五月、建築家、久米権九郎氏の仲介で高崎の実業家、井上房一郎氏と出会い、同年八月一日に来県、高崎の少林山達磨(だるま)寺の境内に寓居(ぐうきょ)することになる。そこから、われわれ県民とのつながりが生じ、四年前の二○○○年十一月、タウト生誕百二十年と高崎市制百周年を記念して、タウトをテーマにテレビのドキュメンタリー・スペシャル番組『知のDNA 夢ひかる刻(とき)』を企画。大勢の皆さまのご支援を得て製作し、全国放送も実現、大好評を博した。そのドイツ取材の折、市民交流の親善訪問団も同行という案も立てたが、映像製作が手いっぱいで、親善訪問は留保した経過がある。 烏兎匆匆(うとそうそう)、その日から四年。今年はタウトが高崎を訪れて七十年になる。またとない節目なので、懸案事項の幾つかを実行に移すこととした。 その第一が、タウトが高崎に滞在中、日課とした少林山達磨寺の境内の散歩道を考証し、《思惟(しゆい)の径(みち)》と命名させていただき、タウトの会と同寺のご支援、ご協力を得て制定した。 次いであす九日には、七十年前にタウトが構想した学園の流れをくんで、高崎に創造学園大学を開学。ここではドイツでのタウト研究の第一人者、シュパイデル博士や筆者によるタウト論の講義が間もなく始まる。 来月には上毛新聞社共催(後援=高崎市、ぐんま日独協会、群馬建築士事務所協会、創造学園大学、群馬テレビ、エフエム群馬)で、前述のテレビ・スペシャル番組取材の地、ドイツを五月十六日から二十三日まで、親善訪問する(問い合わせはJTB前橋支店)。現地ではシュパイデル博士が同道し、タウトゆかりの地や作品群をご案内いただける予定だ。 さらに、タウトが来県した日(八月一日)には、創造学園大学主催によるシンポジウムを開催準備中で、次代を担う逸材への「知のDNA」継承と文化の泉づくりを図っている。 先人の功績をたたえ、受け継ぐということは、人を大切にする、人材を育てることでもある。また、「まち」のことを「市井」ともいうが、これは水のある所に市が立つからであり、「むら」の語源も人が群がり、集まるところからといわれている。町中の井戸や泉を枯らしてしまうと、人が集まらなくなる。まさに『ここに泉あり』、泉ありて市がたち、街が栄えるのだ。愚公山を移すと信じる。 (上毛新聞 2004年4月8日掲載) |