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◎「ほっとけない」の心で 障害者もお年寄りも、あらゆる人々が平等で人間らしく生き生きと暮らしていけるユニバーサル社会への取り組みが、少しずつ進んでいます。人は人との交じらいの中で、どこまで個人のプライバシーに介入できるのでしょうか。 平成八年の冬、私は市内の食料品店でタクシーで買い物に来ている息子の同級生の母親と出会いました。少し遠回りをすればすむ距離でしたので、帰りは自家用車で送って行きました。彼女とは、その日から彼女が死ぬまでの約一年半、プライバシーに触れる付き合いが始まりました。 重い病気をもつ彼女には中学三年の娘と小学二年の息子がいて、二人とも不登校でした。夫は歩合給の出稼ぎでほとんど家にはいませんでした。しばらくして彼女から「お金を貸してほしい、お米が買えない」という電話がありました。彼女の娘が自転車の荷台に家のテレビをくくり付け質屋に売りに行き、また古本を売っては生活費を捻ねん出しゅつしているのを知った私は、自分の子が…と思うと涙が止まりませんでした。 結局、一万円を貸しましたが、その担保として一度も着ていない中学校の体操服をよこしたのです。悲し過ぎました。中三の娘は家族の要となり家事と母の看病に追われ、小二の弟は借金取りの恐怖におびえ、朝になると体の不調を訴えて、ほとんど学校へは通えませんでした。朝、子どもを学校へ送り出す力と気力など病気の母にはありませんでした。娘は倒れた母親を病院へ搬送する手段に、何度も救急車を使いました。タクシー代がなくても、未払い医療費のある病院でも、緊急患者として最低限の処置をしてくれるからです。 「困ったことがあったら電話しなさい」と言うと、SOSのコールは幾度もあり、私は物心両面から支え続けることになりました。その後、彼女は離婚と自己破産をして生活保護の道を選びました。暮らしの技に乏しかったので生活苦は変わりませんでしたが、子供たちの担任や市の福祉関係者、地域の人たちに見守られ、ようやく一家に平安と笑い声が戻ってきました。 そんな時、一緒に植えたコスモスが咲き出すころ、彼女は亡くなりました。たった十五歳の娘が喪主を務めたお葬式は、ご近所とPTAの人たちが支えました。 さて、児童虐待、ドメスティックバイオレンス、一家心中などの事件を聞くたびに、良くも悪くも、当時、彼女の一家にかかわった多くの人たちの言動を思い出します。地域社会で起こるさまざまな問題、特に人命や人権にかかわる緊急な課題には、行政、警察、学校、地域、家庭との連携が重要であることは、言うまでもありませんが、時としてプライバシーにかかわる法律が邪魔をします。今の社会に必要なのは、法律はあとから補足修正すればいいとする勇気と、行動力のある優秀なリーダーなのだと思います。そして「ほっとけない」というみんなの心です。地域の力です。 各市町村の合併協議会では今、さまざまな問題が勃ぼっ発ぱつし、行財政改革を真剣に実行する人がいるのか、と少々不安になります。議員や委員は保身に走らず、自らリーダーとしての自覚を持ち、勇気と行動をもって活躍してほしいものです。 (上毛新聞 2004年4月5日掲載) |