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(有)南牧村ブルワリー代表取締役 青木 重雄さん(南牧村羽沢)

【略歴】1965年、下仁田町生まれ。91年からワーキングホリデーの制度を活用し、オーストラリアなどを渡り歩く。帰国後、93年から南牧村で外国人対象の宿泊施設、現在は地ビールとピザの店を経営。

世界の若者との出会い



◎学ぶことで日本を知る

 海外生活の魅力は、世界中の人たちに出会えること、異文化やその国の習慣に触れられること、そして、外から日本を見ることで考え方や視野が広がることだと思います。

 オーストラリアに来て一カ月がたったころ、住み慣れたユースホステルからシドニー大学近くのバックパッカーズ(宿泊施設)に移りました。四人部屋で週七十豪ドル。オーストラリアでは、家賃の支払いや給料などは週単位で行われます。消費低迷で不況にあえぐ日本も、給料を月給制から週給制にすれば、経済も少しは活性化するのではないでしょうか。特に年金は少子高齢化で将来、支給額が引き下げられますが、減額されても週支給になれば、安心した老後を送れると思います。

 このバックパッカーズでたくさんの人たちに出会ったことで、自分のやりたいこと、やるべきことが見つかりました。

 最初に出会ったのがフランス人のジェローム。彼はオーストラリアに来て塗装業を始め、午前中は塗装業、午後は観光地のレストランでウエーターと、一日十六時間以上も働いていました。彼は一万豪ドルをため、そのお金を持ってインドネシアへ行き、船を買って観光船にして商売を始めるという。彼の父親はフランスで貿易会社を経営しており、経済的に恵まれた環境で育ったとのこと。「なぜ、そこまで苦労するのか、家業は継がないのか」と尋ねると、「父親は成功した。今度はおれの番だ」と言いました。毎朝、部屋を出ていく足音を聞きながら「成功する人は、こんな人なんだろうな」と感じました。今でも仕事でつらい時には、彼を思い出します。

 続いてデンマーク人のカレン、南アフリカ人のドン、ドイツ人のピター、アメリカ人のマット、イギリス人のデビット、スペイン人のタチョーなど、毎日のように新たな出会いがあり、たくさんのことを学びました。そして彼らとの交流の中で、次第に日本や日本人について考えるようになりました。

 戦後、日本人は“与えられる”ことに慣れてしまい、与えられてから行動するようになったのではないでしょうか。与えられて満足すれば、ボランティア活動などの“与える”という行動をとりますが、満足できなければ“奪う”という行動に走ります。最近、奪うという事件が増えているのが気になります。「“与えられる”人間から“与える”人間でありたい」。そう思うようになりました。

 しばらくして、お金をためたジェロームがインドネシアに出発することになりました。「日本のバックパッカーズを紹介してくれ」。そう尋ねられ、周りの日本人に聞きましたが、「日本にはないよ」との答え。海外では日本人を受け入れてくれる場所がたくさんあるのに、日本には外国人を受け入れてくれる場所が少ない。

 “日本人だけがよければ”では、世界から認めてもらえません。「日本で外国人向け宿泊施設バックパッカーズをやろう」。やりたいことが見つかりました。しかし、大きな問題が一つ。多額の資金が掛かることです。しかし、その問題も思っていたより簡単に解決できました。

(上毛新聞 2004年4月1日掲載)