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◎4人の少年たちを思う 三月という月は複雑な月である。出会いがあり別れがあり、そして新しい旅立ちの月でもある。 この三月、私は四人の少年たちのことを思っている。 毎年十月に県邦楽協会(内田天流理事長)の定期公演があり、今年は二十四回を迎える。県下八支部の公演であるが、必ずしも毎回盛況とはいいがたい。その第一は内容のマンネリである。そんな中にあって、昨年二十三回の公演に四人の中学生が出演したことは新鮮であり、心からうれしかった。決して満点の舞台とはいえないが、私は機会がもしあるなら、記念に新聞にその氏名をとどめることを約束した。それが私にできる精いっぱいのことであるから。 尺八本曲『雲井獅子』で、難しい内面を表現するような尺八を演奏してくれた前橋第一支部の梅沢勇輝君。その名前のように、輝いていました。筝曲『出雲の阿国』を演奏してくれた太田支部の栗原秀章、山田洋平、本間貴士の三君。一つだけ私が注意したことは、演奏が終わったあとの辞儀の頭の下げ方だけでしたね。全員が中学三年生、立派でした。 三月、この子らに思いをはせる。新しい進路は決まったであろうか、そして時には邦楽器に親しんでくれているであろうか。伝統というもの、邦舞、邦楽を含め、受け継ぐだけでなく次代へつなぐ、ということも大切なことなのであるから。 近年、行政も力を入れて邦楽というものの普及や育成が叫ばれ、本県もいち早く、その動きにさまざまな人が取り組んでくれている。例を挙げれば、初代若柳吉駒の「美登利会」は五十年も前に子供育成を目的として発足している。近年では西川扇生、扇二郎の功績も高く評価されるだろう。長唄、杵屋彌三右衛門の「ヤサエモン座」は、その成果として五歳から中学生まで約五十人が、三月四日に国立劇場で演奏するまでの成長を見せた。このほかにも県内の邦楽普及はめざましいものがある。 県邦楽協会公演でも、子供たちに出演の場が与えられれば素晴らしいことである。 情操ということ(教育などと考えず)を目的に発した先達の努力、それが現在では教育の場を得て、それに取り組む諸師。私は邦楽の明日、未来ということを決して悲観しない。 陽春のきざしのなか、今は施設暮らしとなってしまった母が植えておいたスイセンがそこここに芽を出し、小さな蕾つぼみをのぞかせている。そんなとき、人間というもの、生きとし生ける生命の強さというものをしみじみと思う。 昨年の定期公演に出演してくれた少年たち、さらに一回り大きくなって、また舞台に上ってくれることを期待してやまない。 限りなく美しい国、そこに育はぐくまれた伝統というものを守り育てる気風、とてつもない速さで流れる刻ときの中で、今度は君たちが主役なのである。 (上毛新聞 2004年3月24日掲載) |