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◎愛着をもち発展を願う 二月十一日付『上毛新聞』に、「歴史的町名復活を支援、全国初の条例案」という金沢市の記事が載せられていた。その内容は、一九六○年代に廃止された歴史的町名の復活を支援する条例を全国に先駆けて制定するというもので、条例制定の目的は歴史的文化遺産として町名を後世に伝え、郷土に愛着をもつことであるとしている。立派だと思える。 ところで、いま全国的な規模で市町村の合併が話題になっている。賛否は多々あると思うが、それはさて置き、合併によって消してしまう地名については、特に慎重であってほしいと思う。地名は、その土地の歴史を物語る大切な文化財だからである。 例えば、高崎市の東部、利根川の西岸近くに「京目(きょうめ)」という地名がある。江戸時代からの京目村は明治二十二(一八八九)年、隣接する大沢、萩原、矢島、島野、元島名、西島の六村と合併して「京ヶ島村」となったが、新村名にも京目の「京」の字が取り込まれている。この時は、江戸時代からの村の名は新村の大字名として、そのまま残された。 戦国時代末期の天正年間(一五七三―九二年)には、京目は「経免郷(きょうめんごう)(村)」と表記され、松井田城主大だい導寺直宗(どうじなおむね)の領地であったことが古文書に残されている。「京目」では意味が分からないが、「経免」は各地に小字名で残る「油免(あぶらめん)」や「修理免(しゅりめん)」と同種のものと推察できる。現高崎市京目町の「経免」は、神仏混交時代の和泉神社とその別当にかかわるもので、租税を免じられた土地のことである。いつごろ成立した地名なのだろうか。あるいは古代末期までいくのではなかろうか。 これは、いささか奇妙な例になるが、前橋市街地の北西部に飛石(とびいし)稲荷神社がある。この神社境内には、赤城の溶岩とも浅間の噴火岩ともいわれる巨岩がある。いつのころからか、この岩を神として祭り、この辺りを「岩神」と呼ぶようになった。ところが、前橋市街地の一斉町名変更によって、一部に「岩神町」の名は残ったものの、本家本元の飛石稲荷の地は「昭和町」に変わってしまった。そこにどのような理由があったのかは知らないが、これはおかしいと思えてならない。 いずれの土地にも歴史がある。その土地土地の歴史を明らかにするためには、その土地の地形、気候、風土、民俗、さまざまな時代の遺跡、遺物など、今に残されているすべてのものが歴史を解き明かす大切な資料になる。地名もまた、しかりである。 人々がある土地に住み着いて、自他を区別する土地の名称が生まれ、そことかかわりをもった人々が、直接、間接にその土地の発展に寄与してきたりすると、その土地、その土地の名称に愛着をもち、さらなる発展を願ったりするものである。 地名は、一定の範囲の土地に付けられた名前である。人の命、人権擁護と同じように、地名もまた大切に扱ってほしいと思うばかりである。 (上毛新聞 2004年3月22日掲載) |