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前副知事 高山 昇さん(前橋市六供町)

【略歴】前橋高、東北大大学院文学・経済史修了。1962年県入庁、職員研修所長、広報課長、農政課長、農政部長、総務部長などを経て95年10月から副知事。2期8年を務め、昨年10月に退任。

これからの社会



◎一緒に歩き道をつくる

 私たちはこれまで、「したことの失敗」だけを追及し、「しなかったことの罪」は問わない。新しい尺度として「しなかったことの罪」を明確にする必要がある―と、ある雑誌の対談で堺屋太一氏(作家)が述べている。

 確かに、私たちは現状認識において、しばしば手の届かないものを過小に評価して、現状を肯定しようとする。あるいは、手にしているものは理想通りのものであってほしいという願望が働き、レモンも甘い味がすると思い込んでしまう。単純な思い違いと異なり、思い込みによって多くの場合、自らを欺いてしまっていないだろうか。

 現在、各般にわたって改革・変革が問われ、議論されて進められている。私たちが直面しているのは危機ではなく、時代の変わり目(変革期)であり、時代の変化によって長い間、成功に導いてきた「旧来の手法」が適用しなくなった。足かせになっている場合も見受けられ、新たな「社会的な革新」の必要性が説かれている(P・F・ドラッカー)。グローバルな時代である今、これまでの制度・仕組み・慣行をどう改革・変革していくかが重大な課題になっている。だが、考えなければならないことは、変えることのできないものを受け入れる潔さ、変えることのできるものを変える勇気、そして両者の違いを見分ける知恵が厳しく求められていることである。

 これからの私たちが目指す社会は、三つの顔をもっている、と思う。一つは、市場原理が浸透する最大自由の中での競争社会であり、二つ目は多様な生き方・在り方・価値観が共存する社会である。そして、もう一つの顔は、強者と弱者との格差が一定の範囲内を超えない豊かさと優しさが同居する社会である。

 これまで、この欄で二回にわたり「常を疑う」こと、そして「思いやる」ことを思考軸の一つに加える必要性を述べてきた。さらに「一緒に歩き、道をつくる」ことの大切さを加えたいと思う。

 私たちは、例えば「持続的発展」のように形容詞と名詞を使った表現を好む。動詞で表すことによって、行動に結びつけることに心掛ける必要があるのではないかと思う。

 これからの社会をどう自立的に築いていくか。重要なことは「何が正しいか」という価値観、この方向に進めば、こうなるというビジョン、どういう手段を選択し、その手順をどう定めていくかという判断基準を明確にしていくことである。そのうえで私たちは個人(企業も含む)、地域社会、そして国として、(1)それぞれの個性(特色)・強さ・正しさを生かし育てる(2)それぞれが支え合い補完し合う(3)それぞれの良さ・美しさを守る―。この三つを行動基準として、私たちの生き方、地域のあるべき姿、国の在り方を考え、歩く道をつくっていく必要があると考えている。

(上毛新聞 2004年3月12日掲載)