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音楽家・大泉町スポーツ文化振興事業団理事 川島 潤一さん(大泉町中央)

【略歴】青山学院大卒。2003年に教則本を発表。自己のトリオでNHK国際放送、同FMに出演。音楽クリニックを主宰し、音楽を通じた人間文化を追求している。国内外にミュージシャンの知人多数。

音楽に国境なし



◎教科書にない技術磨く

 「偏見」という言葉は、あまり響きのいいものではない。辞書をひもとくと「かたよった見解」とある。一体何がどのように偏っているのか、基準はない。一般的通念・概念といった抽象的な「壁」のような境界が存在することは、間違いないようだ。私は子供のころから、父母に「偏見を持ってはいけない」「人は皆平等である」と教えられてきた。

 あるころから横文字である英語が、頭文字やカタカナで氾はん濫らんしてきている。会話や会議・案内書など、鍵となる横文字言葉を知らないと、話が分からないことがある。また、仕事にならなかったりもする。知らないと、それこそ偏見の目で見られたりする時もある。

 最近、ある会合に出席したときのことだが、横文字の頭文字やカタカナが鍵となっている資料をたくさんいただいた。ありがたいことに、一つだけ説明書きがあった。出席していた方の一人が、鍵となっている言葉について質問をした。「キー・パーソン」を病名の「パーキンソン」と誤って言ってしまった。会場では笑いが起きたが、私はもっともなことだと感じた。

 政治やテレビなどで横文字の頭文字やカタカナが珍重されているが、価値観を押し付けられているようで、われわれ凡夫にとっては、誠に折り合いのつかないことである。これは偏見ではないと思っている。気を引く言葉として使うには有利である。理解すると、使いやすいときもある。また、長い説明をしなくてもよいときもあり、聞こえも良い。「オーライ」や「オーケー」など、すでに日本語化して市民権を得てきている言葉も数多いのは確かだ。

 音楽の場合、楽曲の歌詞の響きや波動などが、人間の耳に心地よいといわれる言語は英語であると聞く。もともと日本語という言葉の持つ機能から、強弱のアクセントがなく、日本人はリズムが弱いといわれる。ところが最近の曲を聞くと、明らかに言葉が変化し、一様にリズムがやわらかい。意志を伝える媒体の言語が、国を境にして違っていても、ましてや方言であっても優劣はない。

 英語教育を小学校からといわれているが、早い時期から学習することに異論はない。しかし、しっかりした日本語を修得することの重要性を忘れてはならない。なぜならば、意思を伝達する際の最良の道具と言えるから。技術というのは教科書にない仕事であり、失敗を重ねて経験として生かされる。道具を大切にして初めて技術は向上すると確信している。

 人に感動を与える仕事は、技術力が必要である。これは、すべてに共通していることであると思う。あらためて、切せっ磋さ琢たく磨まという言葉に感銘する。自分のやることに熱意と愛情をもって、一生懸命に取り組むことが大切であると思う。分野が何であれ、ジャンルという種類分けした壁を意識して、本当に大切なものを見失っていないだろうか。ましてや、偏見という心を持ってはいけない。音楽に国境はない。

(上毛新聞 2004年2月15日掲載)