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獣医師 安田 剛士さん(沼田市戸鹿野町)

【略歴】日本獣医畜産大大学院修士課程修了。獣医師。沼田市で動物病院を開業。環境問題に取り組み、群馬ラプターネットワーク、赤谷プロジェクト地域協議会事務局長。県獣医師会員。

鉛弾問題



◎生物多様性に悪影響

 私の病院に、鉛の散弾をのみ込んで鉛中毒を起こしたコハクチョウが保護され運び込まれたことがある。衰弱が激しかったコハクチョウは、治療のかいもなく五日後に死亡した。

 水鳥の鉛中毒は、世界中で問題になっており、日本でも水鳥飛来地を中心に多発している。原因のほとんどは、狩猟で使われた散弾銃の鉛弾である。水鳥は水底の餌をとる時に一緒に鉛弾をのみ込んで中毒を起こす。

 野鳥にはもう一つ別の原因で生じる鉛中毒がある。狩猟で撃たれて死亡した動物の肉を鉛弾と一緒に食べて生じる猛もう禽きん類の鉛中毒である。鳥類は特有の消化管構造のため、鉛弾が胃に長期間滞留し、溶け出した鉛により重度の中毒に陥り死亡する。

 また微量の鉛汚染が野鳥の繁殖能力を奪っている疑いも出てきた。銃を撃って散乱した鉛弾が原因になる。撃たれて中毒になるわけではない。散弾一発で八十四―二百粒の鉛粒が入っているので理論上その数だけ中毒を起こすことが可能だ。

 人間に鉛中毒はあるだろうか。ローマ帝国滅亡の原因は、支配階級が鉛の器でワインを飲んで鉛中毒になったためだ、という説がある。日本でも江戸から明治初期にかけておしろいに含まれていた鉛による中毒があった。一九七〇年代に公害問題となった東京・牛込の鉛中毒(実際は鉛汚染)もある。

 われわれは、鉛を多方面で使用してきた。しかし、人体に悪影響があるので、さまざまな分野で鉛使用が、規制、自粛され、あるいは代替品に変更されている。これらの潮流は、原因物質の使用による便利な生活を享受する多くの人々がいる一方で、不特定多数の被害者を生じてきた環境問題に共通するものだ。

 残念なことに鉛弾の規制はまだ途についたばかりだ。まず製造に関する規制はない。クレー射撃をご存じだろうか。この競技では競技協会が安全上の理由(跳弾)から鉛弾の使用規制に反対している。全国の射撃場には無数の鉛弾が散乱し、飲料水源の汚染が心配されている。これらの鉛弾の除去には十三兆円かかるという試算もある。

 狩猟に使う鉛弾は、都道府県ごとに一カ所だけ知事の指定で使用が禁止できるほか、北海道のエゾジカ猟で使用が禁止されている。また本年度から三重県で狩猟での使用が全面禁止された。

 鉛弾問題には受益者が一部の人々だという特徴がある。この点は他の環境問題と少々異なる。鉛弾の生産・消費のサイクルは小さく社会の目に留まりにくい上、実際の被害者も幸いなことに出ていないので社会問題化しない。しかし、生物多様性に対する悪影響は大きい。現世代は、将来世代のために生物多様性を維持する必要がある。

 公害問題の原点といわれる足尾銅山鉱毒事件以来明らかなように、原因物質は人体被害の前段階で多くの生物に影響を与えている。その後に人が健康被害で苦しむ。失うものも計り知れない。対策にも多額の費用がかかる。予防原則による対策が必要である。

 昨年催された鉛弾問題のシンポジウムで私は、鉛弾使用規制に対する根強い抵抗があることを実感した。鉛弾問題の解決には現在の命を大切にするだけでなく未来の命を守る新たな価値観が必要とされている。

(上毛新聞 2004年1月16日掲載)