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◎平和の中にこそ文化 年が改まる。そこには“日本”というものが色濃く残っている。年々、時代というものの変化こそあれ、越年から元旦という流れには変わることのない“日本”をそこに見ることができる。 正月の“音”として生きている“邦楽器”の数々、わけても箏(こと)の音色は箏曲“春の海”につながり、そこにまぎれもない“日本”の美しさがある。 その“春の海”の作曲者宮城道雄(兵庫県、一八九四―一九五六年)は“新邦楽”の中心的存在で、宮城なくして今日の箏曲なしといっても過言ではあるまい。群馬との関(かか)わりも深く、宮城の伝統を受け継ぐ者として群馬在住の健在者としては直接指導を受けた金谷伊久江がおり、宮城派として県内生田流として活躍する川端光永、伊藤珠瑛、多田京子などが宮城の伝統を受けつぎ、二〇〇一年の国民文化祭、邦楽の祭典でもオープニングに宮城道雄の“編曲八千代獅子”を演奏している。一九九四年は道雄生誕百年であり、県内からは川端光永ほか六十五人が“夢殿”を演奏している。 その宮城派も道雄、喜代子、数江と連綿として伝統が受けつがれることであろう。 正月九日、前橋の初市である。この郷土の様子を長唄として残そうと思い立ったのが東音三野村太助(だいすけ)(杵屋彌三右衛門)。郷土にちなむ長唄シリーズとしての一曲、作詞は私であるが、三野村は詞にきびしく、私が自信を持って書いたフレーズもばっさりと切りすてられてしまう。そうこうしてできたのが“屠蘇(とそ)を名残りの九日の…”ではじまる“初市抄”で立方(踊り)および振付は先代の若柳吉駒がつとめてくれた。 群馬を題材として三野村はいくつかの作品を残しているが、これも邦楽という伝統を少しでも身近にという考えから発している。 この“初市抄”、二回舞台に上っているが、二回目は一九八九年、“若扇会”において先代若柳吉駒の立方で上演されている。三野村の談になるが、下(した)ざらい(本舞台の前の演奏者と立方の稽古(けいこ))のおり、一度踊った吉駒にその齢(とし)を考え、“お師匠さんこれで終わりにしましょう”と声をかけた三野村にニッコリほほえんで“もう一度やりましょう”とこたえたのは吉駒、 齢(よわい)九十三歳の心意気であった。その心と技は二代目吉駒(旧名吉吾)に受けつがれ、今度は二代目の“初市抄”が見られる日を楽しみにしている。 不況の風が荒れるとはいえ、正月の街には“色”や“音”にそれとない華やぎがある。“日本”というものをしみじみと思う時でもある。風に揺れる飾りの繭玉の紅や白、そしてどこからともなく聞こえてくる“春の海”。そんなことを平和と思えるのはどれだけ幸せかわからない。平和のなかにこそ文化というものがあり、美しい伝統がそこにあると思う。 正月の雑踏のなか、ふっと“初市抄”の音が聞こえたのは、もちろん私の空耳である。 (上毛新聞 2004年1月1日掲載) |