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◎一日も早く必修に戻せ 高等学校の社会科で世界史が必修となり、日本史は選択科目となってしまってから、十数年が経過した。 今や大きな弊害があちこちで顕著になり、それは大学の史学科にまで押し寄せている。日本史学を専攻するのに日本史の知識をほとんどもたない学生が史学科にやってくる。これは悲しむべき「喜劇」だ。これで高等学校の歴史教育はよいのだろうか。はっきりいって、中学校の日本史知識では、大学の学問と教育には不十分である。一日も早く日本史必修に戻すべきなのである。 弊害をもう一つだけ指摘しよう。近年の日本史研究と日本史の大学院生は元気がなくなっている。むろん幾つもの要因が脳裏に浮かぶが、その一番大きな理由は、世界史必修のあおりもあって、日本史の学生が高校の社会科教師になれる可能性は司法試験なみに狭くなってしまったことにあるだろう。学部卒はもちろんのこと、大学院修士課程修了者などでも事情は変わらない。就職の可能性が小さくなれば、日本史研究に希望をもつことはやはり難しくなる。 世界史が必修とされ、日本史が選択科目とされた理屈は、おそらくグローバリゼーションに対応する教育といったことなのだろうが、とすれば、短絡な結論であり、惨さん憺たんたる結果を生みつつある。 外国の人々は、どんなに流りゅうちょう暢な英語であろうと、日本人から中途半端な世界史の知識を聞きたいとは思うまい。ましてや、自分たちの歴史を日本人から知ろうとはすまい。彼らが聞きたいのは、自分たちがよく知らない、日本の歴史と文化のことなのである。 そもそもグローバリゼーションに必要なのは、極端な言い方をすると、日本の歴史と文化についての知識である。それを若い世代がしっかりと身に付けることである。そして、それを英語などで話すことができるようになることであろう。 どんなに英語が上手に話せたとしても、肝心なのは話の内容・中身であることは変わらない。自国の歴史と文化について、豊かにかつ楽しく語れることは、必要不可欠な条件であると思う。 わたしは今、群馬県立歴史博物館にいるが、そこでの解説などについても、一工夫が必要だと考えている。つまり、中学校や高等学校の生徒が、自国の歴史を英語で話すのに役立つ展示解説や歴史叙述を用意するようにしていきたい。たんにそうした解説や叙述を並べるだけでなく、生徒たちが意欲的に学べるようなものとして工夫していきたいと思っている。むろん簡単にはいかないだろう。でも、そうした工夫に努めることによって、博物館を豊かな学ぶ場に変えていくことができるだろう。中学校や高等学校の英語と日本史の先生たちの提案と、それらを作るための参加に期待している。 そして繰り返して言いたい。一日も早く、高等学校の社会科は日本史必修に戻せ、と。 (上毛新聞 2003年12月24日掲載) |