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◎まちの新たな拠点に 昨年九月、伊勢崎市の古い木造の洋風医院建築、黒羽根内科医院旧館が市の指定重要文化財となり、十一月には、新たなまちの拠点化を目指して、中心市街地を約百メートル曳ひき家移転されました。その様子は多くの新聞やテレビで紹介され、市の文化的施策に多くの方々の目が向けられました。 私はNPO法人「街・建築・文化再生集団」の一員として、この移転活用事業に携わりました。建物所有者の市への寄贈の意思を受け、活用のための調査が開始され、建物の老朽度、建築的な詳細調査、活用の可能性の検討等と合わせ、NPOによる曳き家の提案や市民への活動提案、活用の意味を問う座談会等も行われました。また建物の公開時には多くの見学者が訪れ、市民の関心度の高さが伝えられ、身近に佇たたずむ古い建物である地域文化財の中に、人々の心をとらえる魅力が潜んでいるということが実感できました。 今回の調査で棟札が発見され、明治四十五年上棟、施主は今村信四郎、設計技師阿部石松、棟とうリョウりょう藤丸兼吉、副棟リョウ相崎倉吉の名が確認されました。当初、かつての伊勢崎藩の藩医を務めた今村家により今村医院としてつくられ、その後伊勢崎保健所に、戦後は黒羽根家の所有となりますが、戦災や近代化により歴史的建物が姿を消す中で、幸いにも残された希少な街の記憶といえる建物であるとあらためて認識し、保存・活用への思いをさらに強く抱くこととなりました。 建築的には、正面両側壁面がせり出した左右対称の格式を象徴する外観、玄関ポーチ廻まわりおよびポーチ上二階テラス廻りの手の込んだ洋館としての装飾、軒廻りや上げ下げ窓廻りの装飾等、極めて質の高い洋館のつくりが、一民間の医院建築でなされていることは県内でも稀け有うなものです。また、当時まだ根強かった和の暮らしの部分としての和館の設しつらえが巧妙に使い分けられた和洋折衷のつくりも大きな特徴です。さらに木造洋風医院建築としては県内最古といわれており、その地域文化財としての価値は高く評価されるものでした。 活用の前提が市有地への移転でした。移転の手法には解体と曳き家のふたつがありますが、費用や工期の問題と合わせ、まちづくり活動との連携を考え、曳き家移転の方向で検討が進められました。しかし、移動進路、各障害物への対策、限られた作業時間、安全対策、そして建物が曳き家等の作業に耐えられるか等、多くの難題が山積みされていました。 一方、今回の移転・活用をまちづくりへ生かそうと、それまでバラバラに活動していた多くの市民団体等が結集し、曳き家に合わせてイベントを行おうと実行委員会が立ち上げられました。ここに伊勢崎市では初の協働型イベント「Isesakiタウンぎゃらりー」が行われることとなったのです。 次回は実際の曳き家移転やイベントについて、また地域文化財活用のまちづくりにおける役割や意味について触れたいと思います。 (上毛新聞 2003年12月22日掲載) |