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◎究極の目的は未来に 「人間はどのように生きてきたか、どのように助けあったか、人間はどのように生を楽しんだか、みんなが幸福に生きるために、人間はどのような社会を作ろうとしたか。 この中から人間としてのあたたかみや、人間が人間をいたわるという精神、つまり、ヒューマニズムの根源がどこにあるか、さらに、なにがいったい人間のほんとうの姿であるかと考えて、それを土台として、これからの道をさぐり出したいのである。」 これは一九四五年、日本の敗戦によって、多くの人々が物心両面でどん底に陥った、そういう時代に、安田徳太郎がこれからの日本人のために著した『人間の歴史』の前書きの一部である。 本県に生まれ育ち、あるいは縁あって、この地に生活するようになった多くの人々は、群馬の自然的、歴史、文化的環境の影響を受けながら生きてきたし、この影響のもとにこれからも生きようとしている。 人間は意志をもつ生き物である。意志があるから環境には左右されない部分がある。しかし、人間は個では存在することができない生き物であり、長い年月を経ながら培われてきた衣・食・住をはじめとする文化を享受しつつ成長し続けるものである。いうならば、人間は長い人間の歴史の過程の中に存在し、歴史を学びつつ成長し、歴史を発展させていく生き物であるといえる。 中国の春秋時代に生きた学者、思想家であった孔子の言行などを集録した書物に『論語』がある。この中に「温故知新」という言葉がある。これは、日本語読みにすれば、「ふるきを温め、新しきを知る」である。いまから二千五百年も前、日本の歴史からすると、稲作がようやく始まった弥生時代のごく初期に生きた人が、歴史を学ぶことを大切にし、その中から人間の生き方を考えようとしたその態度は、まったく敬服に値することである。 人間が歴史を学ぶ究極の目的は未来にある。現代という視点で過去を鏡に映すと、おぼろげながら未来が見えそうなのである。 歴史学では「因果関係」を大切にする。一つの歴史事象には、その事象に至る「原因」が必ずあり、事象は次の事象である「結果」を生み出すことになる。そして、その結果は次の事象の原因となって、また新しい結果を生んでいくということである。 人間の歴史は、すべて原因と結果の繰り返しによって、途切れることなく現代につながっている。未来もまた同じであると考える。歴史を学び、歴史から学び、多くの人々の協力のもとに、明るい社会、未来、歴史を築いていきたい。 (上毛新聞 2003年12月20日掲載) |