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◎販売に重点を置き行動 昭和五十八年にサラリーマンを辞め就農、ゼロからのスタートで二十年間に次々と経営改善を達成してきた。当時六十アールの畑で農業ができるのか、不安があった。また「農業に入り込めるすきはない」と就農者に指摘された。すきがあったら、私は就農していなかったかもしれない。この一言が私を農業という職に火を着けた(サラリーマン当時は人並みに収入はあった)。 しかし、この厳しい農業にチャレンジするのにはほかにも理由があった。それは大事な家族があったからだ。厳しい中にも家族だんらんという時間が欲しかった。当時、長男が小学校に入学するころでもあり、自給自足であれば可能だという安易な気持ちでもあった。 しかしながら、農業はそれほど甘くはなかった。最初の一年間で身にしみた。これでは家族だんらんどころではない。家族に迷惑を掛けてしまう。そこで私の農という職に火を着けた一言を思い浮かべた。 松下幸之助さんの本に「一人二人ではたかがしれている、百人千人であれば一人からの儲もうけが少なくても経営は成り立つ」という言葉があった。すなわち、一人の人から一万円の利益を上げるのは難しいが、千円の利益を上げるのなら可能ではないか。 そこで、規模拡大に専念した。しかし、資本金がいる。借り入れを起こしても返済できるのか、不安でもあった。国、県からはいろいろな助成金があったが、楽観的にはなれなかった。しかし、乗りかけた船。村、県、国に世話になり、雨よけハウス二千平方メートルを造り、徐々に経営拡大に向け前進してきた。 ところが、農産物の輸入拡大で価格が低迷し、なかなか計画通りにはいかなかった。本当に農業で生活できるのか、ここでまた不安になった。農産物は希望価格がつけられない。市場での成り行きで販売される。仮に原価が八十円掛かろうが三十円、二十円で取引されてしまう時もある。農産物が高値になると安い輸入農産物が入る。このような販売価格で本当に農業で生活が成り立っていくのか、人並みの生活ができるのか。 しかし、農業はまだ何か空きがあるのではないか、常に考え思い、販売にウエートを置いて行動した。ここで生産の農業から販売の農業に替わり、サラリーマン当時が甦よみがえった。消費者ニーズ、すなわち流通ニーズへの対応と販売拡大のため、法人化(有限会社)を行う。またパートの労災制度への加入を進め、雇用労務管理の適正化を図った。 なお、これからの農業経営として「ゆとりのある生活」と「土とともに生きる」、すなわち、土耕にこだわって、純粋な百姓として経営を盛り立てていきたいと思う。 最後に農産物輸入問題での自由貿易協定交渉では、農業が犠牲になるようなことは避けてもらいたい。これ以上、農民を苦しめないでほしい。 (上毛新聞 2003年12月5日掲載) |