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(有)南牧村ブルワリー代表取締役 青木 重雄さん(南牧村羽沢)

【略歴】1965年、下仁田町生まれ。91年からワーキングホリデーの制度を活用し、オーストラリアなどを渡り歩く。帰国後、93年から南牧村で外国人対象の宿泊施設、現在は地ビールとピザの店を経営。

海外で働きたい



◎重要な異文化体験

 先日、テレビのインタビュー番組に日産自動車社長のカルロス・ゴーン氏が出演しているのを見ました。彼は番組の最後で「“解のない問題はない”という格言の正しさを経験で実証している」、また「海外で生活し異文化に触れることが重要である」と答えていました。私も以前、海外で生活した経験があり、立場は違いますが、この言葉のもつ意味がよく理解できます。

 “過疎化山村地域”を国際的にし、子供たちや村民の方々が自然に異文化に触れられる環境をつくりたいと思ったのが今の仕事の始まりです。最初は海外に興味はなく「日本に住んでいるのだから英語を使う必要がない」と思っていました。ところが、社会人になり世界観が広がったことで英語や国際感覚の必要性が分かるようになってきました。英語を第二母国語とし、幼いころから習っている現在ではその重要性はますます高まっているのではないでしょうか。勉強嫌いだったことから“英語を学ぶなら海外で生活した方が早い”と思い、どうにかして海外で働けないか考えるようになりました。

 今ならインターネットを使って情報を簡単に収集できますが、当時は難しく、また思いきって海外へ飛び出す勇気もなく、海外への憧あこがれが膨らむ一方で、時間だけが無駄に過ぎていきました。

 そんなある日、ふっと立ち寄った本屋で見つけたのが“資格ガイド全集”。見てみると「ありました」。“初生ヒナ鑑別師、資格を取って海外で活躍しませんか”の見出し。「これだ」と叫びたい気持ちを抑えレジへ。その三カ月後に会社を辞め、名古屋にある鑑別師養成学校に入学しました。初生ヒナ鑑別師とは孵ふ化かしたてのヒヨコを肛こうもん門の内側にある突起で瞬時にオス、メスに分ける、日本人によって確立された技術です。

 鑑別師になって海外で働けるようになるまでには最低でも一年はかかります。まず養成学校で半年間基礎を学び、それから養鶏場で研修生として働いて経験を積み、高等鑑別師の試験に合格し晴れて初生ヒナ鑑別師となります。その後海外からの要請に応じて派遣されます。

 学校卒業後は横浜市にある養鶏場で働くことになりました。手先の器用さには自信がありましたが、鑑別師の資格は思った以上に難しく、三年目を迎えたころには「海外には行けないのではないか」と思うようになりました。半ば諦あきらめかけた時、研修生の先輩からワーキングホリデー制度があるということを聞きました。ワーキングホリデー制度とは、海外で生活してみたい若者のために一定の条件を満していれば最長で一年間、休暇を楽しみながら現地で働くことのできる制度です。

 現在では、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、フランス、ドイツ、イギリス、韓国で実施されています。鑑別師を途中で諦めることには少し抵抗がありましたが、目標はあくまでも“海外で生活すること”。当時の加盟国からオーストラリア行きを決めました。海外に憧れてから七年目のことです。“人間万事塞さい翁おうが馬”、このことわざを経験で実証していくことになります。

(上毛新聞 2003年11月30日掲載)