視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎終わりは楽しい気分で 作家の大江健三郎氏のご長男、光さんは「これなーんだ」というような表情を浮かべ、自分が書いた楽譜をピアノの先生である田村久美子先生に見せるようになった。光さんは先生が正しい曲名を当てられるかどうかを試しているようだった。音楽の「当てっこゲーム」を繰り返していくうち、光さんが書く音符の中にどうしても曲名がわからないものが出てきた。先生が「何の曲?」と尋ねると「大人に秘密をつくった」ような表情を浮かべて得意そう。「好きで書いたの?」と尋ねると「どうだ!」と言わんばかりの表情をする。 田村先生は、光さんが書く楽譜の中に自分の知らないものがあることに気づいたとき「寒気がして足がガタガタとふるえた」とのこと。「創つくりたいのだ」という彼の気持ちがわかったからだ。 “ここまで手探りでやってきた。誰かが作曲したソナタを弾くだけではなく自分でも作曲するようになってしまった! 責任重大!”―こう感じ、「このまま私が光さんを教え続けてよいのか」と疑問が浮かんだという。“誰か作曲法を教えてくださる先生についた方が光さんが今見せ始めた才能の萌ほうが芽をさらに成長させることができるかもしれない”―この考えを健三郎氏に伝えたところ「彼はあなたにだけそうしているのです。だからこれまで通りレッスンを続けてほしい」と答えたという。 大江家ではお誕生日には手作りのプレゼントを用意する習慣がある。妹の誕生日には「バースディワルツ」を作曲した楽譜を丸めて赤いリボンで結んで妹にプレゼントした。この曲の締めくくりが尻切れとんぼに感じられたので「こうかな?」「こうかな?」といくつか提案した。光さんは気に入らないものには固まっているが、気に入ると「いいですね」と踊り回って喜びを表現した。 先生は“もし光さんがヒントを受け入れなければひっこめる。私の方に絶対しちゃいけない”というスタンスでやってきた。そして光さんの中に解決策が出てこなければ「そういうの難しいわよね。次にまたつくろうよ」と提案するにとどめた。いつも「おもしろかったねー」で終われるようにした。 主治医の森安先生が逝去された日、光さんは悲しみでふさぎ込みソファの隅に顔をうずめていた。「悲しいときにはお誕生日にプレゼントするようにプレゼントするのよね。それは『レクイエム』っていうの」と呼びかけると、光さんは気をとりなおしたように楽譜に向かい一気に短調の悲しい曲想の音符を書き入れた。「森安先生は天国にいらしたかもしれないしね」という田村先生のことばに、光さんは長調のフレーズで曲を締めくくった。この曲が入ったCDは一九九二年のゴールドディスク大賞を受賞したのである。田村先生は「気があったのね。私は音楽が好き。光ちゃんとおんなじね」と言われる。 このCDが出たとき田村先生のご長男は「ママはぼくたちを育ててくれただけじゃなかったんだ!」と言われたという。「これを聞いて市民権を得たような思いだった」と語られる先生の表情は優しさに輝いていた。 (上毛新聞 2003年11月7日掲載) |