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◎無理強いはしないで ノーベル文学賞を受賞された作家の大江健三郎氏のご長男の光さんは脳に重い障害をもって生まれた。そのため言語や運動発達は遅れていた。光さんは四歳のとき初めて意味のあることばを口にした。ベートーベンの曲が聞こえたとき「ベーベー」、モーツァルトには「モーモー」。これを聞いたご両親は「ことばが話せる! 音楽がわかる」と喜んだ。光さんがいつでも好きなときに好きな音楽が聴けるようにFMラジオを買ってあげた。それからは幸せそうに音楽に耳を傾ける姿が見られた。美しい曲が光さんの心に刻み込まれていった。 てんかん発作でふさぎ込むことが多かったころに、ピアノの先生である田村久美子さんに出会った。これがきっかけとなり、音楽を聴くだけではなく、自分の気持ちを音楽で表現することができるようになった。 田村先生から光さんを作曲にまで導かれた道筋についてうかがった。田村先生の最初の訪問は光さん十歳のとき。白いセーターでぷっくり太って足元にうずくまっている姿はまるでクマのプーさんのよう。妹さんにレッスンをしていると光くんも這(は)ってきてそばに座っておけいこの様子をじっと見ている。 光さんは自分の手でピアノを触って音が出るのがうれしそうだった。童謡を弾いてあげても興味を示さない。ブルグミューラーやシューマンを弾くとうれしそうだった。「光さんは何が好きなのかを発見するのが私の楽しみだった」。光さんの手をもって弾いてみると、いやそうではなかった。 読譜の仕方を教えようとしたが、うまくいかない。ドは赤というようにピアノの鍵(けん)盤にリボンをつけて、音と音符を対応させようとしたがうまくいかない。しかし「耳からわかると感じたので」、先生が弾き、光さんがその音を耳で聴く。今度は光さんは自分が聴いた音を弾くという「聴音」のレッスン法を取り入れた。このレッスン法は耳から入る子には適していた。光さんが最後に弾いた音から始まる曲を先生が弾く。光さんが先生の最後の音から始まる曲を弾くという具合に「音楽のしりとり」に熱中した。 このころになると光さんはピアノのおけいこが楽しみで仕方がない。レッスンの日には左手にレッスンの開始時間に針をあわせた目覚まし時計をもち、右手に先生が履かれるスリッパをもって、玄関の前でいまかいまかと先生を待っている。先生がドアを開けると「待っていたんだよ」と言わんばかりに全身で喜びを表した。 ピアノのレッスンが楽しくてたまらなくなったのと軌を一にして、光さんの表情が変わり、知性で輝くようになった。養護学校にも進んで行くようになり、生活面でも自律・自立してきたのである。重い障害があっても心の絆(きずな)が結ばれた人に誘われて子どもは多くのものを学ぶことができる。教育はレールを敷いて子どもを走らせることではない。待つ、見きわめる、急がない、急がせないで一歩先へと支援する。田村先生は「かわいくってしょうがないのよ」とほほ笑んだ。この方だからこそ、なしとげられた偉業なのである。 (上毛新聞 2003年11月1日掲載) |