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◎人工と自然の共存を 二、三年前になるでしょうか、フランス革命二百年祭のための凱旋(がいせん)門のお色直し風景の写真を目にしました。こうした工事現場で使われる蔽(おお)いは、日本では、多くは派手な青や緑のシートや、塀などで蔽うだけのおざなりのもので済まされがちですが、フランスのそれは、蔽いを三色旗の色の紗(しゃ)で、その裾(すそ)の塀囲いには三色の旗が風にはためいている絵が描かれていて、何ともおしゃれで、さすが成熟されたファッションの国・フランスと敬服したものです。このような文化的な配慮において、日本はまだまだと思わざるを得ませんでした。 「文化の基本は暮らしのマナーでしょう。マナーの中には作法もあるし、修行もある。今それが欠けている時代と言えるんじゃないか」。もう何年も前に新聞に連載された「現代の修行」欄における、司馬遼太郎氏の言葉です。「マナー」とは「人への思いやり」とも言えるでしょう。色づかいにも当然この「マナー」はあってしかるべきと思うのですが、私たちを取り巻く色彩環境を見渡したとき、前述の工事現場のシートをはじめとして、自分のところさえ目立てば良いとばかりの極彩色に塗られた外壁の店舗や看板、自動販売機などなど、残念ながら、単に機能性や経済性、そして目立ち論だけが優先された「心遣いを無くした色づかい」、「人への思いやりや作法が欠如している」と思わざるを得ないものに行きあたることが多くなりました。人を不快にするだけの音を「騒音」と言うように色も、品の悪い、騒がしいだけの色づかいのことを「騒色」と言います。一九七六年の朝日年鑑に、環境破壊を引き起こす要因のひとつとして、騒音、騒色が挙げられており、大気汚染や水質汚濁などの諸公害に並ぶものとして騒色公害が懸念されていました。が、今それは現実問題として私たちの前に大きく立ちはだかっています。 日本において快適環境が希求され、そこで色彩が注目されるようになったのは最近のことです。従来は都市計画においても、建物を建てるにしても、すべての段取りも終わって最後に「さて、色はどうするか」となりがちで、最良の色彩デザインなどできようはずもありませんでした。 かつての日本の街々にはその街特有の色が、かたちが、音が、匂(にお)いがありました。その街の自然環境と美しく調和した風景をつくっていて、その地域の気候風土はもちろん、人々の暮らしぶりまでもが穏やかに反映されていました。しかし、経済の発展やめざましい技術の進歩によって街は、気候風土を超えた、近代的で機能的な街へと変貌(ぼう)しつづけてきました。そのことによって私たちが受けている恩恵には計り知れないものがあることは疑うべきもないのですが、だからといって、地域色を捨てた、無表情な街が日本中に増え続けていくのはさみしい限りです。人工物がつくり出す人工景観の代表的なものが都市であるとしても、そこに人工と自然との共存が、そして、そこに暮らす人々の思いが生かされていなかったら、快適な景観は決して生まれはしないでしょう。 (上毛新聞 2003年10月31日掲載) |