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◎惚けの薬になるゲーム 子供のころ、近所に両親と一緒に子供全員が百人一首を楽しむ家庭があった。両親と高尚な趣味で正月を過ごせるなんてと、ひそかにうらやましいと思っていた。 長じて、百人一首が超得意で、正月が近づくと講師として忙がしくなる友人を知った。彼女は子供時代、妹たちとともに歌留多(かるた)好きの父親から百人一首の薫陶を受けて育ったそうだ。 オーストラリア・タズマニアの山中。多民族が肩寄せ合って生活している小村で、夏休みを過ごした。米国から来た老婦人から、イスラエルのゲームを教えられた。ラミキューブといった。 十三枚八組のカードで、数字や色の組み合わせによって勝負を競う。トランプに似ているが、幾通りもの遊び方法はない。たった一通りながら奥が深い。 技術が進み、相手が俊敏ならば、意表を突かれて勝敗の結果が多彩である。無聊(ぶりょう)をかこつに最適な遊戯だったし、旅愁を吹き払ってくれた。 帰国後、日本でもラミキューブが購入でき、早速わが家に取り入れた。老親と私との小さな家族である。誰か客人があり、四人そろえば、直ちに卓上にカードを並べ、ゲームを始める。至福のときであり、家族和合のときであった。 最も熱中したのは母親だった。ゲームに寄せる気合いは“熱血漢”のようで、普段の生活からは想像もできぬ一面を見せられた。 だが数年後、不治の病にかかった。手術も放射線治療も駄目。自宅介護の方法を選んだ。往診の医師から点滴を受け、余命をつないだ。母が「神様」のような先生と慕い尊敬した医師と、家族とのゲームが母を慰めた。 就床して百三十日。惚(ぼ)けず、嘆かず、騒がず、静かな臨終だった。庭前に咲き誇る梅花を愛(め)でた言葉が、旅立つ前の送る者たちへの挨拶(あいさつ)であった。 この秋、母の実妹である叔母の米寿を祝った。この叔母は四世代の台所を切り盛りする調理の名手である。常に研ぎ澄ました包丁を握り、タイの刺し身やカレイの煮付けで家族を喜ばせていたのだが、旧年風邪で入院。退院したときに病気は治ったが、惚け症状が周囲を困惑させたらしい。 早速、ラミキューブ療法で治すべく、なじみの温泉宿に叔母を呼んで、ゲーム漬けの数日を過ごした。 大好きだったラミキューブにも以前のように反応しなかったが、だんだん乗ってきた。ゲームに加え、茶菓とおしゃべりで攻撃した。成功した。 米寿の祝いの席上、立派にお礼の言える叔母に変っていた。包丁さばきも元に戻ったという。 かくして、惚けに利く薬もゲームだと確信している。小さな者たちを勉強部屋に追いやるのも愛情だが、わが国古来の優雅な遊びや囲碁・将棋に実力をつけて老後に備へ、ラミキューブで世界を遊び回るのも一興かと思うが、いかに。 (上毛新聞 2003年10月27日掲載) |