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◎生きる力を育てる教育 松下村塾の吉田松蔭は、その思想と教育の中で、特に「学ぶ」ということを中核に据えている。日ごろの口癖は「私は師となることはできないが、一緒に学ぶことはできる」である。学ぶことの基本姿勢は、師弟同学、師弟同行である。塾生の横に座って、「君、頼山陽って知ってるかい、日本外史を著した人なんだよ」って親く話しかける。野良仕事をしながら、読書や歴史について語り合い、米つきをしながら四書五経を講義したという。いつ、どのような場面においても学問の場になり得たのである。 人間的な触れ合いを通して、一人ひとりの能力や資質を見極め、各人の能力の資質に見合った教育をしている。それぞれの持つ長所を一つの起点として、才能を引き出している。そこに生きる自信を与えている。今日の「生きる力」を育てる教育と何ら変わるところがない。今日の教育にそのまま当てはまる。 それでは具体的に、松蔭は松下村塾においてどのような人間を育てようとしていたのか。幕末の変動期に必要な人間、日本を改革していくのに有用な人間の育成を目指した。入塾する者に対して「あなたの志は何ですか」と尋ねている。志の有無を第一条件として、それを学ぶことを基本に据えている。そして、この志を支えるものが気力と気迫であり、胆力も挙げている。 しかし、立派な志を持ち、気力や気迫、胆力が備わっていたとしても、知識の裏付けがなくては、その志を実現することはできない、と言っている。そこで松蔭が塾生に勧めているのが読書である。忙しくて本を読む暇がない、などという者もいるが、心掛けさえすれば、仕事の合間を縫ってでも読書は必ずできるものであり、暇の有無ではない、と言っている。学ぶと決心したら徹底的に学べ、一回や二回の失敗でくじけるようでは、志とはいえない、と言っている。 ホンダの創業者、本田宗一郎は「私の現在が成功というのなら、私の過去はみんな失敗が土台づくりをしていることになる。仕事は全部失敗の連続である」と言っている。 松蔭は規律よりも自律を重んじた。村塾の規則は机の中にしまったままで、塾生たちに見せることはしなかった。自律の道を歩ませることが、より厳しい道と考えたのである。これも今日の教育に相通じるものである。 次に「対話」を教育の原点と考えている。今日の教育の中で、欠けているものの一つに、この対話があるように思う。「心を育てる」教育で最も大切なことは、子どもとの触れ合いであり、それは対話なくして成立しない。また、心から尊敬できる師に出会った者は、幸せであるとも言っている。いい先生に巡り会えて、いい方向に見違えるように変わっていく生徒がいる。教える者の情熱が、学ぶ者の心を変えていく。「よしやろう、自分にもできるんだ」と自信に変えていく。それが本当の「生きる力」の教育であろう。 今日は心の教育の時代といわれ、「生きぬく力を育てる心」を育てる教育を進めていくにあたって、松下村塾の思想と教育を今一度、振り返ってみることも必要なのかもしれない。 (上毛新聞 2003年10月20日掲載) |