視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
全国・上州良寛会会員 大島 晃さん(太田市龍舞町)

【略歴】群馬大学学芸学部(当時)卒。1963年に太田市立北中の教員になり、97年に同市立太田小学校を最後に定年退職。98年に上州良寛会に入会し、2002年秋に「良寛への道」を自費出版した。

良寛の逸話



◎終始まじめで一生懸命

 良寛にかかわる逸話は蒲原地方に残る口承や解良栄重(けら・よししげ)著『良寛禅師奇話(りょうかんぜんじきわ)』で伝えられています。良寛の逸話を読んで、まず、心に浮かぶ言葉は、無邪気、きまじめ、人を疑うということをしない人、思いやりの心等です。良寛のユーモアの神髄はたくまざる面白味にあります。一切計算がありません。終始まじめで一生懸命です。こんな逸話を読むとよけい良寛が好きになります。以下、幾つか書き出してみましょう。

 ◆忘れ物防止リストの話
 良寛は忘れ物をよくする人だったそうです。托(たく)鉢用の鉢を畔(あぜ)道に忘れたり、大事な書物を訪れた家に忘れてきたこともあったようです。ある人が持ち物のリストを作っておき、帰るときには必ずそれを見るように忠告したそうです。良寛はその忠告通りリストを作って帰るときには必ず読むようにしたそうです。今はリストは解良家に残されているそうです。あるいは良寛さんはこのリストまで忘れて帰ってしまったのかもしれません。(『良寛禅師奇話』)

 ◆お金を拾う話
 ある人がお金を拾ったときのうれしさを良寛に話しました。良寛もそのうれしさを味わおうとお金を落としては拾ってみましたが、一向にうれしくありません。そのうちにお金を落としたはずみに見失ってしまいました。一生懸命になって探してやっと見つけることができました。うれしくてうれしくてお金を拾ううれしさがよく分かったと話したそうです。(『良寛禅師奇話』)

 ◆おまけの話
 島崎に半農の床屋で長造という人がいました。天神様の軸を書いてもらおうとしましたが、なかなか書いてくれません。それであるとき髭(ひげ)を半分剃(そ)ったところで頼みました。やむなく良寛は「南無天満大自天神」と書いてやりました。人々が在の字の抜けていることを言いましたので、長造がそのことを言うと、いつも自分におからをおまけしてくれる豆腐屋のおばあさんに頼まれたとき「南無天満大自在在天神」と在の字をおまけして書いてやってしまったからと答えたそうです。(三輪健司著『人間良寛』)
 
◆盗人に入られた話
 良寛が住んでいた国上山の五合庵に泥棒が入ったことがありました。しかし何も盗むものがありません、すると良寛が寝返りを打ったので、盗人は良寛の布団を持って帰ったそうです。

 その後、島崎の医師で桑原祐雪(くわばら・ゆうせつ)という人が訪ねてきたおりに、このことを訊(き)くと良寛は盗まれたのではなくあげたのですと答えたそうです。その時にこんな句を詠んだともいわれています。

 盗人にとり残されし窓の月(大島花束編著『良寛全集』逸話「口碑」)

 ◆無言の説教の話
 良寛の弟、由之の長男馬之助が若いころ、放蕩(とう)を覚えてなかなか親の意見をきかなかったそうです。そこで、由之の妻が良寛に意見してくれるよう頼みました。三日ほど実家の橘屋に泊まりましたが、良寛はこれといった説教をしません。さて、いよいよ帰るときに、良寛は草鞋(わらじ)の紐(ひも)を結んでくれるように馬之助に頼みました。馬之助が紐を結んでやっていると首筋に冷たいものがあたります、何げなく見上げると良寛の目から涙が溢(あふ)れていました。馬之助はいっぺんに目が醒(さ)めた気になったそうです。説教嫌いの良寛のぎりぎりの無言の説教でした。(大島花束編著『良寛全集』逸話)

(上毛新聞 2003年10月6日掲載)