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◎素直で気取りがない 良寛は心の自由をなによりも大切にし、その心を形式にこだわらず素直に表現しました。 良寛は存命中にまずその書が珍重されました。彼の書も詩歌と同様に殆(ほとん)ど独学でした。良寛の書には、その人柄が滲(にじ)み出ていて草書も、楷(かい)書も見る人の誰にも感じられる温(ぬく)もりがあります。国上の五合庵に定住してから一層手習いに精進できる時間ができたのでしょう。特に長い長い冬の間は格好の修業期間でした。良寛自身、自らの好みで手本を選択し、当時の書家たちの流れにはまったく拘(こだわ)っていません。主として懐素の自叙帖や佐理卿の秋萩帖等を学びました。 良寛が五合庵に定住してまもなく、文化六(一八〇九)年に、儒者で書家でもある亀田鵬斎(かめだ・ぼうさい)が越後にやってきました。鵬斎は本県の千代田町上五箇の生まれといわれています。少なくとも父は同所の出身です。鵬斎との交流も良寛によい影響を与えました。同時に周囲も良寛の書に対する認識を高めました。人々はますます良寛の書を求めるようになります。自作の詩歌でも暗記していたものを、その場で書くので同じ詩でも語句が一定ではなく、詩作の定法に則(のっと)らないもの、脱字等も多くあったそうです。それでも人々は良寛の素直で、気取りのない書を愛し求めました。 「師ニ書ヲ求ムレバ、手習シテ手ガヨクナリテ後(のち)書(かか)ント云フ。其時アリテ興ニ乗ジ、数巾ヲ掃フ、事モアリ。敢(あえ)テ筆硯(ひっけん)ト紙墨(しぼく)ノ精粗ヲ云ワズ。自ラノ詩歌ヲ暗記シテ書ス。故ニ字脱シアリ、又大同小異アリテ、詩歌一定ナラズ」(解良栄重著『良寛禅師奇話』) 現代の書家の中で良寛を尊敬して自ら「書家の書は嫌いたまいし良寛の詩を書く書家われにして」と述べているのが本県出身の小暮青風氏です。氏は良寛の詩歌を愛したくさんの書を残されています。平成十二年十一月、氏の誕生の地、太田市で七十点近い良寛の詩歌を集めて「良寛詩情」と題した個展が開かれましたが、一点一点いずれも良寛の秀作が気品のある温かい筆づかいで心を込めて書かれており大層感動いたしました。ご覧になった方も多いのではないでしょうか。 良寛の書について考察を加えた研究書は多数ありますが、なかでもユニークなのは平成五年に刊行された松岡正剛氏の『外は、良寛』(芸術新聞社刊)です。良寛の絶唱ともいうべき「淡雪の中にたちたる三千大千世界(みちおうち)またその中にあわ雪ぞふる」を論の中心にすえて良寛書について内面的、情緒的に検証を試みています。ご一読をお勧めいたします。 良寛の書の傑作に「天上大風(てんじょうおおかぜ)」があります。これは燕の町を托(たく)鉢した際に子どもにせがまれて凧(たこ)にするために書いたものだそうです。良寛はこの凧が大空高く舞い上がることをひたすら念じつつ、越後の子どもたちの凧揚げの際の囃子(はやし)言葉に因(ちな)んでこの文字を書いたのでしょう。何ともいえぬ温もりと親しみの感じられる、それでいて天衣無縫、まさに凧への文字です。幸か不幸かあまりにも出来栄えの優れた書でありすぎました。書として大切に後世に残されることになってしまい、凧として大空を舞うことは叶(かな)わぬことになりました。表装され、由来書までつけられて幾分窮屈そうに、でも大切に保存されています。きっと、これまでにも多くの人々がこの書が残されたことに感謝しつつも、この書の前に立ち、見入り、感動と喜びの心に過ぎ去った少年時代への思いをはせ、良寛の「凧、凧揚がれ、大風(おおかぜ)、小風(こかぜ)!」の声を聴くのではないでしょうか。 (上毛新聞 2003年9月3日掲載) |