視点 オピニオン21
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全国・上州良寛会会員 大島 晃さん(太田市龍舞町)

【略歴】群馬大学学芸学部(当時)卒。1963年に太田市立北中の教員になり、97年に同市立太田小学校を最後に定年退職。98年に上州良寛会に入会し、2002年秋に「良寛への道」を自費出版した。

良寛と子供たち



◎淳真な心が共鳴しあう

 霞立つながき春日に
  子供らと手毬つきつつ
   この日暮らしつ

 越後にも遅い春が訪れ、田には水が引かれ田植え歌が春風にのって聞こえてくるころ、良寛が墨染めの衣を翻して托(たく)鉢をしながら通ります。西蒲原郡の地蔵堂の集落です。

 「良寛さん、一貫」と子供たちが叫ぶ。良寛は吃驚(びっくり)した様子で、大仰(おおぎょう)にそっくりかえる。子供たちは大喜びではやしたてます。「良寛さん、二貫」、良寛はますます驚いてそっくりかえります。「良寛さん、三貫、四貫」と数が重なり、良寛が腰砕けに尻もちをついてしまうまではやしたてます。畦(あぜ)道に倒れこんで顔をしかめている良寛を囲んで、子供たちは大喜びです。これは市場で、人々が物を競り売りしているところへ良寛が通りかかり、あまり声高に高値を言うのをきいて吃驚し後ろに反りかえった、その滑稽(こっけい)なさまを子供たちが見て喜び、良寛が通りかかるたびにはやしたててこの時のありさまの再現をねだるようになったのだそうです。この話は解良栄重の著『良寛禅師奇話』の中にあります。

 良寛が衣の土をはたいて、ゆっくりと立ち上がるころには、子供たちはもう次は何をして遊ぼうか考えています。手鞠(てまり)にしようか、おはじきにしようか、それともかくれんぼか、口々に良寛を誘います。良寛は手鞠も上手、かくれんぼは大好き、おはじきも上手です。

 時は農家にとって猫の手も借りたいくらい忙しい田植え時、年嵩(としかさ)の子はみな田植えにかりだされ、幼い子ばかりの集団です。「良寛さん、手鞠をつきましょう」と赤ん坊を背負った女の子が誘うと、良寛はうれしそうに懐から、手鞠を取り出します。子供たちが手鞠唄を歌うと良寛は一生懸命鞠をつきます。良寛が歌うと子供たちが手鞠をつき、時を忘れ、托鉢を忘れて、日が西に傾くまで遊びます。

 子供たちと遊ぶ時、良寛は無心であったと思います。おはじきに負ければ本気で悔しがり、勝てば無邪気に喜んだことでしょう。そんな良寛の心に子供たちはついていったのでしょう。良寛の心の中に生き続ける童心に、誠実な心に対する共感が仲間としての親近感を与えたのでしょう。子供たちと遊ぶ時、良寛も幸せであったと思います。良寛は常に子供たちの「真(しん)にして仮(か)なき」を愛した人でした。良寛の淳真(じゅんしん)な心が子供たちの心と素直に共鳴しあったのでしょう。

 やがて、子らを呼ぶ親の声が聞こえ、子供たちは三々五々家路につきます。後は良寛ひとり取り残されててくてくと畦道を帰路につきます。

也また児童と百草を闘たたかわす
 闘去り闘来たって うたた転風ふう流りゅう
 日暮れて寥々たり人帰って 後
 一輪の明月素秋を凌しのぐ

 子供たちと闘草をして遊ぶ
 勝ったり負けたり夢中にな って遊んだ。
 夕暮れて気がつけば皆帰っ てしまって
 秋晴れの空に満月がぽつん と浮いていた。

(上毛新聞 2003年8月24日掲載)