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前群馬町立図書館長 大澤 晃さん(群馬町中里)

【略歴】高商から国学院大学。桐高、前工、前女とめぐり、前南で定年。群馬町立図書館の初代館長として、七星霜、その運営にたずさわる。現在は町の文学講座(古典と現代文)の講師。

読書



◎自分の生き方を探る

 小学校一年生の冬、エンジニアの父とともに、一家をあげて北海道から満州に渡る。少年の、太平洋戦争、父の戦死、敗戦等の経験は、いつしか、「幸福の青い鳥」を探し求めるチルチルとミチル兄妹の後を追いかけるようになっていた。

 そして、幸福についての本を読みあさり、ついにフランスの哲学者アランの『幸福論』に辿(たど)り着いた時は、とうに少年期を過ぎていた。

 対象が努力の範囲内にある時は、その可能性を確かめること、しかし、能力を超えるものについては、考え方を変えて、受け入れることが、幸福に近づくことだと、アランは教えてくれた。

 山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
 
 カール・ブッセのこの詩は、ヒロインの運命に涙した、サンピエールの『ポールとヴィルジニー』や、心の支えとなった、塩尻公明の『天分と愛情の問題』などの作品と重なり、若い日の思いに出につながる。

 作品は老いることなく、人生のみが、時を刻む。「幸福」から「人生」へ、さらに「歴史」へと、関心は広がっていったが、読書の方法についても、多くの人々に助けられた。

 「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている」と詩に綴(つづ)ったのは長田弘である。活字だけを追いかけてゆく弊害を説いている。また、五味太郎は「よく分からない本や面白くない本は、がんばったり、無理をして読むものではない」と語っている。

 ダニエル・ペナックは「どこを読んでもいい。手当たり次第、何でも読む。最後まで読まない」ことなどを『奔放な読書』の中で容認している。

 また、エミール・ファゲは「本を読むのに、何より大切なことは、ゆっくり読むということである」という言葉を残している。

 「雨ニモマケズ」は宮沢賢治の詩である。その中に、

 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ

 という二文がある。その「ミキキシ」の後に「読み」を加えたい。情報の処理は、収集、分析(整理)、記録(記憶)、活用と続くことを考えると、大変すばらしい言葉であると思わざるを得ない。

 また、他方では、一九八五年の成人教育パリ会議のあったことも忘れてはならない。

 この会議は「読み書きの権利」「問い続け、深く考える権利」「自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利」等の学習権を宣言している。

 「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉だけをビスマルクから謙虚に学び、モンテーニュの「本を読んでも、人は賢くはならない」という言葉を静かに噛(か)み締め、本と自分との距離を見失わぬように、丁寧に読み続けたいと思っている。

 読書を通して、人権と環境の課題にこたえる努力をしながら、自分の生き方を探ってゆくこと、また、誰からも欺かれることのない自分の歴史観を確立してゆくことは二十一世紀に生きる人間としての権利でもあり、また義務でもあると思っている。

(上毛新聞 2003年8月19日掲載)