視点 オピニオン21
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陶芸教室・赤城カルチャースクール清山主宰
清水 英雅
さん
(富士見村赤城山)

【略歴】勢多農林学校卒。教員を務めた後、学校教材販売業へ転身。独学で陶芸を学び、1990年、現住所地に教室を開校。現在、前橋市内の公民館や老人福祉施設、専門学校でも教えているほか、市民展審査員などを務めている。

赤城山のわが森



◎大いなる自然に感謝

 今朝の赤城山のわが森は、オゾンいっぱいの朝もやに包まれ、清涼感に満ちている。森の中を散策していると、毎年のことながら幾多の植物たちが真夏の晴れ舞台に彩りを添えようと、その存在をしっかり示すがごとく生きづいている。こんな森の様子は、なぜかわが人生をなぞっているようだ。

 松林の中、背丈は低いが、一面覆うように繁茂しているアオイスミレ、春には淡い淡い紫色の世界をつくってくれる。彼女たちに目をとめて愛(め)でてくれる人は少ないが、わが森では大切な存在だ。例えれば、いまだ親交深く付き合っている小学校の同級生、私が素のままで入っていける世界、特に主張はしないが心から和める場をつくってくれる。

 ヤマユリもたくさん育ってきた。真夏には咲き競い、その白い姿は気高く誇らしげだ。森をしめるアクセントになっている。さしずめヤマユリはその時々、適切な指針、援助を与えてくれた諸氏たちだろう。おかげで私なりに充実した世界をつくりあげることができた。

 ヤマユリに巻きついて、上へ上へとツルを伸ばしているのはヤマイモだ。私はヤマユリがかわいそうだと目の敵にして取っているが、根は奥深く、取り切れない。考えてみれば、自分の人生の中にも、ヤマイモみたいな存在の人がいた。次から次へと難問を持ちかけ、苦しめる。負けじと振り払う。どっこいそうはいかないよと、また頭をもたげる。そんな存在があったからこそ、私も強く育てられた。ヤマイモもそれなりに森の緑を豊かにしている。

 実生のモミジもたくさんある。もう私の背丈を越すほどに大きく育っているものもある。ご多分にもれず、わが森でも松が一本また一本と土に還(かえ)ってしまっている。私はその松の代わりを実生のモミジに託し、植え込んでいる。最近では結構見映えもし、それなりの景観をつくっている。小さなモミジもやがてのためにと、育床を作り育てている。実生のモミジは陶房で腕を磨いている門下生たちであろう。やがて陶房の庭にあるヤマモミジの大木のように大きく育ってくれるであろう。

 森の中でもう一つ見逃せないのがギボウシだ。ギボウシは松林の日陰の中でもよく育つが、よく観察してみると陽の当たるところ、陽の当たるところと探して子株を出す。まるで私だって陽の当たる所が好きだ、と言っているようだ。私の顔よりはるかに大きな葉を広げ、丈高く花を付けている。ギボウシはわが家族かもしれない。自分の都合を優先し、気持ちはあっても愛情をたっぷり注いでこなかったかもしれないが、それぞれに太陽の光を探し当て、大きく葉を広げるまでになった。その大きな葉でいつも私を包み込み、私は安心して身をゆだねていられる。

 朝もやに包まれての散策は、私を柄にもなく内省的にしてしまったかもしれない。植物たちがそれぞれに役目を果し、豊かな森を作り出しているように、わが人生も幾多の人々の力をいただいてこそのものだ。そんな人々に感謝、感謝である。そして素直な自分に誘ってくれる大いなる自然にまた感謝、感謝である。

(上毛新聞 2003年8月17日掲載)