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◎大人へのメッセージ 少年の罪? この子を育てた親の罪? 思春期を乗り越えるのは「苦しく困難な仕事」―。人は了解不能な出来事を目の前にしたとき「なぜ?」「どうして?」と問いたくなる。四歳児がビルから突き落とされた長崎事件の報道には戦慄(せんりつ)が走り、悲しみに胸を突かれた。さらに加害者が十二歳の少年であったことを知ったときには、少年自身のみに問題があるとはとても思えなかった。 心と身体の成長のアンバランスを乗り越えることは、思春期の男児にとって、いかに苦しく困難な仕事なのか。男児は遺伝病やストレスによる「傷つきやすさ(vulnerability)」が女児よりずっと大きい。第二次性徴期の心と身体の落差が大きいのである。心の発達と軌を一つにして身体は漸進的に成長する女児には性教育が施されるが、男児には思春期の発達課題を乗り越える手だては与えられない。 子どもは自分自身の中に母親の知らない顔が出てくるのにおびえ、意志の力で抑えることはできないのに愕然(がくぜん)とする。母親の期待通りの「庇(ひ)護したくなる愛らしい子ども」の役割を演じ続けるのはもはや無理になる。「自分がやっていることが分からなくなった」(朝日新聞)状態で犯してしまった罪を背負ってこれからの人生をどう生きていくのであろうか。 少年法の対象にもならぬことに腹を据えかねたように親を責める青少年担当の政治家の弁。この子ひとりの罪なのか。「市中引き回しの上打ち首に」という時代劇好きの政治家の弁にも唖(あ)然とし、暗澹(たん)たる思いを抱かされた。この子を育てた親の罪なのか? この子の通う私立中学校長は開口一番、「この生徒は成績のよい子です」と述べた。成績がよければどんなことでも免罪されるという風潮を代弁している。この言葉に、「子どもの幸せは私が守らなくて誰が守るのか」と必死にわが子を守ろうとする母親の姿が透けて見えた。この母子を取り巻く教育・社会環境、学力重視の受験システムなどが犯した罪は問われなくてよいのか。 神戸の酒鬼薔薇聖斗の事件、新潟の少女監禁事件、佐賀のバスジャック事件、そして、長崎の事件、これらに共通する特徴は三つ。第一に、母子密着で、父親の姿が見えてこない。第二に、小学校高学年までは成績が高く、母親の描いた軌道にそって懸命に走ってきた子どもの姿が窺(うかが)われ、第三に、自尊感情が低く、社会的に孤立している。ひとりの人として愛されたことがあるのか。「愛を与えられなかった子どもは憎しみに満ちた大人になる」(フロム)。自尊感情や対人関係の土台となる「内的ワーキングモデル」(ボールビー)は、ひとりの人として身近な大人に本音でつきあってもらった経験を介してつくられる。思春期心理が専門の大出あい氏は「親、教師、まわりの大人、それにマスコミ、世の中全部が建前ばかりで子どもに本当の顔を見せない。子どもの犯罪は大人全体に対するメッセージだ」(アエラbR3)と指摘している。この種の事件が起こるたびに、現在の子どもを取り巻く状況のむごさに憤りを感じながら、同時に、それを変えていけない無力さに忸怩(じくじ)たる思いを抱くのは私だけであろうか。 (上毛新聞 2003年8月9日掲載) |