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◎語る言葉が歌になる 今、「ミニミニシアター・賢治さんと遊ぼう」の二回目が終わり、ほっとひと息ついたところです。このシリーズは、宮沢賢治自身が作曲した歌と作曲家の岡田京子さんの作曲した歌を中心に賢治の生き方を音楽で辿(たど)るコンサートですが、「聴いていただく」だけの従来型のコンサートではなく、後半は会場の皆さんとともに歌い、語り、遊ぶコンサートです。 実は今だから言えるのですが、一回目が終わり、アンケートや感想を伺うと、いつもの私のコンサートをイメージしていらした方たちは「糸賀さんの歌が少ない」「聴きに来たので後半の時間はどうも…?」という意見で、一方岡田さんの「歌う会」で自ら歌い語っていたイメージでいらした方たちは「前半が堅苦しく、賢治の歌の言葉がわからない」「糸賀さんが賢治についてどう考えているのかがわからなかった」「なぜ着物で歌うのか? 高級な賢治という感じで変だ」という意見が多く、本当に悩みました。 しかし、相反する二つのことを一緒にしたいと始めたのだから違和感があって当然で、「この違いをふまえた上で今後どうしてゆくのか工夫を重ねよう」と話し合い、二回目の六月二十九日を迎えました。 終わって意見を伺うと「糸賀さんの歌をもっと聴きたい」「公演の時間をもう少し短く」など今後の課題も多くありますが、皆さんが参加する時間では、二回目の方も多かったせいか、会場の雰囲気が温かく、ステージに上がった一人ひとりの語りや話を、上手か下手かなどという比較の目で見ずに、一人ひとりの個性を、思いをともに楽しんでくださる人たちが増えてきていると感じました。悩みながらも歩んで来た道にやっと明かりが見えて来た思いです。 四回目までにはオリジナルを作曲していただき、初演したいという話になり、ここ二週間、賢治の童話を読みあさり、三つの候補にしぼっていましたら、つい先日、岡田さんから電話がありました。「一回目に『私の歌がわからない』と言われた人が今回は『よだかの星が良かったし、語るように歌う歌が良かった』と言ってくれたところから思いついて、三回目の九月二十七日のミニミニシアター『シグナルとシグナレス』の中に語るように歌う歌を挿入しようと作曲したわ」と、さっそくファクスで届きました。 歌ってみるととても自然であまりにも美しくて、「オリジナルはこの作品でもいいですよね」とすぐ岡田さんに話をしますと、「私もようやく糸賀さんの歌がわかってきたのよ」と岡田さん。 そういえば、このシリーズの仕掛け人の狩野善子さんにも「これからの課題は、声楽という学問で身につけたものから、いかに自由になるかということだわね」と言われました。 悩んでいた私にこんな言葉を教えてくれた人もいます。「この世はまことに普遍的にして個性的な表現の世界。今を祝福、過去にはただ感謝して別れればよい」 賢治が今いたら、どんな歌を好むのでしょうか。新作の歌を友人に歌って聴かせたり、詩を歌うように語ったという賢治は大きないい声だったとか…。語る言葉が歌になる―そんな歌を歌っていきたいと思います。 (上毛新聞 2003年8月2日掲載) |