視点 オピニオン21
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関東学園大経済学部経営学科教授 入江 省煕さん(太田市飯塚町)

【略歴】韓国ソウル延世大卒。北海道大大学院経済学研究科経営学専攻博士課程修了。マーケティングを専門に、国内や米国、韓国の市場を観察、ユニークな視点で解明している。

ソフトからの発想



◎ハードを生む方程式を

 “赤信号も皆で渡れば怖くない!” これは、規則を無視できるとの見方ではなく、皆の力が一緒になった時の実行可能性への期待度向上を意味するものであると解釈できる。しかし、その“皆”の範囲が今日では本来の領域から混沌(とん)としてしまったような気がする。

 世界的に景気がよくないから日本の景気が悪いのは仕方がない。だけど、「皆がだめでも日本は違うよ!」と頑張れたのが高度成長期の日本人であった。基本的に人間は誰しもが楽な方へ思いを寄せたい心理的作用を昨今のような世の中だと特に働かせるのであろう。長引く不況と景気が良くなるような明るい素材が何にもない最近の経済状況にも慣れてしまい、慢性化してしまったというか当たり前のようになってしまっている現実の方が怖い。

 二○○二年ワールドカップサッカーが行われた。その開催効果はさまざまな形となって残された。バブル以降大きな問題としてしばしば取り上げられているものはいろいろとあるが、中でも設備投資によるその後の運用に困っている、いわゆる“ハコモノ”がある。ワールドカップサッカーでも同じく将来の見通しが立てられないまま造ってしまったものがいくつかある。

 例えば、横浜総合競技場がその代表的な例である。六百億円もの借金が次世代に残されてしまったのである。当然のごとく、横浜市だけがその支払いの責任を取れないわけで日本全国の各自治体にもその請求書がいくのである。つまり、国民の税負担が増えていくのである。これは喜んで払う気には国民の皆はならないはずであろう。なぜ喜んで払う気にならないのか。その理由は簡単である。自分というソフトと横浜総合競技場というハードの接点が認識できないからである。

 まちづくりにおいてもモノを作ればなんとかなるとの発想が良くみられる。しかし、必然的に生まれたものではない。つまり自然発生に近い形で作られたもの以外はいくらすごいものを作ってもその十分な機能を果たすことができないといえる。なぜなら、ハードに合わせてソフトは運用できないからである。ハードを先行させソフトをなじませるには日本人の個々の欲求水準はあまりにもはっきりしている。つまり、ハードが持つ機能的なレベルとソフトが持つ能力的なレベルが一致してこそどちらもその効果を十分に発揮することができる。

 いま、わが街太田に大きな動きがいくつか進行中である。巨大なショッピングセンターの建設が日に日にその姿を現している。市民生活の中から自然発生したものではない。街の様子が急転することは確実である。良い方へと展開されることを強く望む。もう一つ、英語教育特区の小中高一貫校設置へ認定を受け、市民の念願が形になった。多様化した今日の情勢に対応したこのような展開は今後も続けられるようにしたい。“想念は現実化する”。つまり、ただの執念ではなく意味あるものは必ず結果を残せるとのことであろう。ソフトからの発想の展開がハードを生み出す方程式を定着させたい。

(上毛新聞 2003年7月31日掲載)