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◎心をこわしたものは 長崎市で発生した中学一年生(十二歳)の少年による四歳の男児誘拐殺人事件が、日本中を震撼(かん)させている。特異すぎるこの事件が私たちに与えた衝撃は、あまりに大きい。 「学力よりも心の教育」に重きをおいてきた文部科学省はもとより、現場の教師たちも、少年と同年齢の子どもを持つ親たちも、ショックをかくせないでいる。また、子どもたちの間にも、「自分だっていつ同じ衝動にかられるかわからない」という不安と動揺がひろがっていると聞く。 事件そのものについては各種の報道で事実関係があきらかにされてきたが、少年の心の闇は深く、私たちにはうかがい知れない。事件から八日目に少年が県警の手で保護(補導)されるとすぐに、十四歳未満の児童は少年法により、刑事処罰の対象にならないことが問題視され始めた。 「殺人を犯しても罪に問われず、少年院にも入れられない。これでは凶悪化する少年犯罪を増加させるばかり。被害者の遺家族の怒りと悲しみもやり場がない」との感情からだ。青少年育成推進本部の副本部長でもある鴻池防災担当大臣の「加害者の親は市中引き回しのうえ打ち首」という問題発言も、これを「是」とするファクシミリが「否」を数倍上回ったとか。「少年犯罪もついにここまで来たか。世も末だ」といった重く暗い空気が、中高年の私たちを押しつつんでいる。 少年法が見直されて、十六歳からだった刑事処罰の対象年齢が二年引き下げられたのは、九七年に神戸で起きた連続児童殺傷事件がきっかけである。“酒鬼薔薇聖斗”を名乗って凶行に及んだ「少年A」は、中学二年生(十四歳)だった。今回の長崎市での事件は「刑罰の対象年齢をさらに引き下げるべし」の声を増幅させるだろうが、引き下げたとしても実効は期せない。 「長崎中一事件」で私が最も衝撃を受けたのは、人間性のかけらもない冷血非道な犯行もさりながら、少年が補導されるまでの一週間、ふだんどおり通学もしていた事実だ。事件に対する現実認識や罪の意識があれば、できないはずである。私はここに戦慄(せんりつ)した。 十二歳のこの少年の犯行の背景には、幼少期からの情緒不安定や、家族環境の問題があるといわれている。しかし、“ゲーム”の影響も見逃すことはできない。少年はゲーム好きで、ゲームセンターにも日常的に足を運んでいた。ゲームの架空世界では、現実にはあり得ないことが疑似体験でき、現実との混同が起こる。犯行のとき少年はゲームの世界を錯覚して、被害者の男児のいのちを“リセット”できると思っていなかったろうか。 主因とまでは思わないが、少年の衝動をおさえるべき理性というブレーキが、ゲームの架空現実感覚によってこわされた結果ではないか。社会全体が子どもたちの遊びや、映像文化や出版物についてもっと真剣に考えていかないと、未来を担う子どもたちの心がゆがんで、ますますこわれていくように思えてならない。 (上毛新聞 2003年7月26日掲載) |