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元中学校教員 高橋 義夫さん(松井田町行田)

【略歴】国士館短大卒。1957年に松井田町立臼井中学校教員となり、以来35年間同町周辺の中学校で生徒指導に取り組む。91年に指導の記録をまとめた著書「中三の君らと」を出版した。




◎薄くなった罪悪感

 人は誰から教えられなくても嘘(うそ)をつく。三歳の子どもでも嘘が言える。

 そして、人間に生まれて嘘をつかずに七十年、八十年の人生を終わった人はいないだろう。でも、人間の歴史の中では、時に嘘をつくことを潔しとせず、一命をなげうった人もいるだろう。

 人間がこの世に生きて、さまざまな場面に遭遇するとき、嘘がないとこまる場合も数多くある。

 日常生活の中でも、事実や真実を伝えない方が他者に対して親切であり、思いやりであると思うことが、最も一般的な考え方である。

 それでも、嘘をついていることには変わりがない。しかし、私たちはこうした嘘には罪悪を感じないのである。

 ところが、日常生活の中で、それが個人の利害にかかわると、嘘をついた時は大方の人が多少なりとも罪悪を感じるのではないだろうか。そして、嘘をつかれた方は腹立たしい気分になったり、相手に対する不快感を募らせるのが普通の人間である。

 ところで、諺(ことわざ)では「正直の頭(こうべ)に神宿る」といい。また、「正直貧乏、横着栄燿(えいよう)」というのもある。

 昨今の世の中を見ると、正直貧乏的な考え方の指導者や、企業家が多くなってきているように思われる。

 例えば、原子力発電所などの嘘は自分たちの過失を隠すためと、企業の利益を優先させるための嘘である。一度、間違えれば、取り返しがつかない惨事となる。それから、自分たちの利権を守るための嘘は、政界をはじめ各界にはびこっている。そして、こうした嘘への制裁があまりにも寛大すぎるように思えるのである。これでは「正直の頭に神宿る」なんて言っても、誰も信用しなくなってしまう。

 でも、これが紛れもないわが国の現実なのである。

 こうした世の中になった背景にあるものは、前述した「嘘も方便」の思想に甘え、それを悪用して苦しくなったら、嘘でその場をごまかしてしまう。それが幾度かうまくいくと、嘘に対する罪悪感がすっかりなくなり、しまいには嘘が上手につける人間が賢い政治家であり、企業家であるようになってしまうのだろう。

 悲しいことに、人は三歳になれば嘘をつく。長ずるに従って、嘘への罪の意識が芽生えてくるものである。この自然に芽生えてくる罪への意識をはぐくみ守らせてきたのが、「嘘をつくと地獄で閻魔(えんま)さんに舌をぬかれる」とか狼少年の話の教えだった。しかし、今ではこうした教えをすっかり忘れた人や、こうした教育を受けない世代の人が多くなった。

 このごく単純な思想を道徳教育や政治倫理を論ずる人たちに、いま一度思い起こしてもらいたいものだ。そして、私自身も嘘に対する思いをかみしめつつ、生きたいと思う。

(上毛新聞 2003年7月21日掲載)