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野反峠休憩舎勤務 中村 一雄さん(六合村入山)

【略歴】六合村立入山中卒。理容師専門校卒業後、神奈川県平塚市で理容師となる。1974年、六合村に戻り、父とともに野反峠休憩舎を経営。環境省の自然公園指導員や県の鳥獣保護員を務める。

地球時間の生態系



◎目まぐるしく変化

 私がはじめて野反を見たのは五歳の夏でした。野反ダムの建設工事が進められている真っ最中で、工事現場の作業員宿舎で働いていた母の妹に着替えを届けるためでした。

 野反を見たといっても五歳の子供がまわりの自然に興味があるはずもなく、母と一緒に工事用トラックの荷台にのせてもらったこと、木製の手こぎボートで野反池を渡ったことだけが記憶に残っています。

 その翌年の昭和三十一年から父が「野反湖ヒュッテ」の経営にたずさわったことで、小学校入学から中学の終わりまで、夏休みの大半を野反で過ごしました。

 野反池はダムの貯水とともに野反湖として生まれ変わり、貯水によって浮いた湿原は浮島となって漂っていました。湖のまわりの草原はその季節の花が咲き、ニッコウキスゲの満開のころは一面の黄色でした。

 あれから約四十年たった野反湖周辺は、昭和二十三年に実をつけたあとで枯れたという笹の子孫が繁茂し、ダケカンバが林をつくって草原から森林に変わりつつあります。

 国道の脇ではセイヨウタンポポやツメクサが花を咲かせ一部の地域ではブタナなども見られるようになりました。これらの植物は帰化植物と呼ばれ、在来の植物の生育を脅かす存在として嫌う人もいます。

 現在、高山植物と呼ばれるものの九割は氷河期のころ北方から日本に入り、残りの一割は南から入った植物が高山の気候に適応したといわれています。

 氷河期の終わりから一万年の年月をかけて生き残ったと聞くと、運がよくて百年しか生きられない人間の時間と対比すると、とても長く感じますが、百億年の寿命を持つといわれる地球の時間で考えると一万年はあっというまにすぎません。

 高山植物といわれて人気を集める花も地球の時間で考えると、つい最近日本に入って来た帰化植物ということになります。

 もしも人類の祖先が、帰化植物を嫌い駆除していたとしたら、現代に生きる私たちは高山植物を見て楽しむことはできません。

 「人間も自然の一部」とはよく聞く言葉ですが、植物がタネを移動する手段として、カモシカや鳥などを容認して、人の足に付いて運ばれるのはよしとしない考えを持つ人もいます。

 そういう見方は人間を特別視するものであり、植物にとって人間も種(しゅ)の繁栄のために利用すべき、風やカモシカ、鳥となんら変わらない自然の一部であるという視点が欠けていると思います。

 野反池のころに見られたという、ヒメシャクナゲやクロバナロウゲなど数多くの花が野反湖のまわりから消えてしまったのは寂しいことです。しかし、生態系は固定しているものでなく、地球の時間の中では目まぐるしく変化しているということを理解して、ヒステリックに帰化植物と差別することなく、私には見ることのできない一万年後の植物の進化を想像しながら、今も行われている自然の変化を見続けたいと思います。

(上毛新聞 2003年7月16日掲載)