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日本国連環境計画群馬支部長 小暮 幸雄さん(高崎市新保町)

【略歴】群馬高専卒。生産・環境施設の企画設計に携わり、1993年に株式会社ソーエン設立。日本国連環境計画創立に参加、同計画諮問委員。2002年10月に群馬支部を立ち上げ支部長。

自然との共生



◎生活見直すことが大切

 夏がくれば思い出すのは、やはり「尾瀬」。詩にうたわれるように、尾瀬の自然はいつ訪れてもすてきだ。雪解けの尾瀬、梅雨のミズバショウ、初夏のニッコウキスゲの黄色い絨毯(じゅうたん)、ワタスゲのころを過ぎ、原色に染まる紅葉からあっという間に訪れる晩秋、そして冠雪。いつ訪れても、幻想的な光景を見せてくれる。きっとこの季節、たくさんのハイカーが木道を歩いていることだろう。しかし、この箱庭的な自然の美しさに惑わされていると、木道は歩いているが、本来の自然との共生の道を踏み外している可能性がある。

 自然環境は、もはや能動的に人が保全しないといけないことは明白だが、決して人間が自然を支配できないのも事実である。あたかも人が自然より優位の立場にあるように錯覚した、自然保護、環境保護などという活動は、どこかおこがましい気がしてならない。親が子を保護するがごとく、強者が弱者を保護するという感覚がある。自然環境は人間によって保護されているものでなく、むしろ人間が自然環境から生まれ、育まれているのではないだろうか。自然は本来残酷なもので、豪雨や干ばつ、暑さや寒さ等々、永久の昔より破壊と創造が繰り返されてきたはずだ。そして、その環境のもとに恩恵を受け、人類は生活を営んでこられた、といえる。それを近年、人間は急激に資源を搾取し、物質的豊かさを得て初めてその有限さに気付き、保護しなければという発想が生まれた。散々、自然を食い物にしたあげく、その罪滅ぼしなのか、立場を反転して保護を訴える。

 科学技術の発達は、人間があたかも自然と対等、あるいは勝っているかの錯覚を起こさせる。特に本県においては、すでにそこにある自然と、比較的穏やかな気候、地震や台風等の自然災害の少なさによって、自然の恵みと脅威を感ずる機会が少なく、意識が薄い。もっと自然に対して謙虚になるべきで、その恵みに感謝する気持ちを持つべきだろう。そして、自然や環境は保護しなければという考え方になるのではなく、もっと自然と親しみ、ともに生きるという意識を持ちたい。自然に対し上から見るのではなく、目線を同じにし、人間の生活と環境の保全とが共生した、持続性のある社会を目指すべきではないだろうか。

 話を尾瀬に戻せば、保護するという発想はやはりおごりがあるような気がする。官主導による、そのような団体もあるが、それを果たそうとするなら、観光客を入山させなければよいし、戸倉から一切の車両を規制すべきだ。もし、純粋な愛好家と自然とのふれあいを大切にするのなら、欧米にあるような観光局と名前を変え、環境の保全と観光の調和のとれた活動をした方がよい。観光による収益と利権のために、その活動が制限を受けてはならないし、何の環境思想もないまま保護しなくては、というお題目だけの活動は、方向性を誤る。一度誤れば、その活動をすればするほど、間違った結果が待っている。

 美しい自然をいつまでも大切にし、本当に豊かな生活を送るためには、箱庭の美しさに惑わされることなく、もっと身近な自然の恵みに感謝したい。自然環境と調和のとれた社会を築くため、私たちの生活をもう一度見直すことが大切と思う。

(上毛新聞 2003年7月10日掲載)