視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
陶芸教室・赤城カルチャースクール清山主宰
清水 英雅
さん
(富士見村赤城山)

【略歴】勢多農林学校卒。教員を務めた後、学校教材販売業へ転身。独学で陶芸を学び、1990年、現住所地に教室を開校。現在、前橋市内の公民館や老人福祉施設、専門学校でも教えているほか、市民展審査員などを務めている。

年を重ねる



◎刺激生む新たな出会い

 いくつのころからか、人は年を重ねるごとに自分の年齢を口にするのをためらうようになる。みめかたち、立ち居振る舞い、物覚え、対人関係、どれをとってもきらきら輝き充実していたころと違ってなさけない状況になってくる。年を口にするといやでもそれを実感させられる。八十に手の届く私など誰にも負けないくらい十分なさけなく、口がさけても自分の年など言えないことになる。しかし、私は失いゆくものに思いを寄せ、嘆くよりも年を重ねたが故に豊かになる力があると信じていきたい。私はそう信じて自分の道を歩んでいる最中でもある。

 縁あって介護老人保健施設「山王ライフ」で陶芸指導のボランティアをしている。「やぁ、やぁ、やぁ、待っていたよ先生」と言いながら、満面の笑みと拍手で私を迎えてくれる高齢者たち。私も「あぁ元気だったかい」と返す。「先生も元気だったかい」と互いにいたわりの言葉をかけ合う。皆、私と前後する年齢だが、言わず語らず互いの無事を気づかうのである。「さぁ始めるかい」と言って作品作りに取りかかる。

 高齢者介護施設だから当然皆何らかのハンディを持っている。それでも持てる力を出し切って土と格闘する。私や介護士、看護師さんの援助で次第に形になっていく。そうなるとにこやか顔でまんざらでもなさそうに自分の作品に見入っている。

 しかし皆が皆、そういうわけでもない。土と向き合ったまま表情を硬くし、一向に手を動かそうとしない人、「私は手に力が入らないからやって」と甘えてせまる人、先行き不安を感じる場面に出くわすのも事実である。でも、あせることはない。回を重ねるごとにそれぞれが自分の力でできる方法で土と向き合い、自分なりの充実度で親しんできてくれるのである。

 できあがった作品を囲み、仲間同士あれやこれやと話に花が咲く。最近では家族の方が持ち帰った作品を喜んでくれるらしく、「手伝ってもらったところは話さなくていいんだよ」とか、悪知恵を付け合い、大口で笑い合っていることもある。仲間のことに気を使い、家族にも心配させまいと何と年寄りらしい思いやりかと、かえって感心してしまうのは私が同年代だからであろうか。そして「この年になって陶芸ができるなんて思わなかったよ」と喜んでくれるのである。

 陶芸に限ったことではないが、新しいことに挑戦し、挑戦したことが形になり成果として残る。この事実は人間の能力を十分刺激し喜びを与えてくれるものである。年を重ねて体は衰え、あるいは病を持っていたとしても物を作り出す喜び、常に自分自身を向上させていこうとする気持ちは年には関係ないのである。

 私とて、このボランティアをすることでハンディを持った人たちが無理なく陶芸に親しめる指導法と技術の研究という魅力ある刺激を得たし、新たな出会いでまた一つ、自分の世界が広がった。年を重ねることがプラスとして喜べる世の中がいい。私は誰はばかることなく年齢を口にしたい。加齢に感謝、感謝。

(上毛新聞 2003年6月26日掲載)