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大阪産業大教授 高橋 泰隆さん(埼玉県行田市須加)

【略歴】早稲田大大学院博士課程修了。関東学園大講師、同助教授を経て、2001年4月から大阪産業大教授。著書に「中島飛行機の研究」「日本自動車企業のグローバル経営」などがある。

「富嶽」の夢



◎民間人たる真骨頂

 プロゴルファー横尾要のテレビコマーシャルに「夢に挑んで夢から逃げない」がある。「夢を見る」「夢を思い抱く」ことは、大事なことだ。大きな目標を抱き、そこに向かってまい進すれば、夢が思いつきにとどまらず実現できることもある。夢を見ない人生はありえないだろうし、つまらない。ところが人生が一つのレールに乗ると、夢もしぼんでしまう。加齢につれて夢も希望も小さくなるし、夢すら見なくなる。中島知久平はレールに乗ることを拒否した。

 中島の描いた最後の夢が「富嶽」であった。「富嶽」は空の要塞(さい)であり、万全な防御網を備え、太平洋を横断する長距離超大型爆撃機である。中島は対米戦争のために起死回生の決戦機としてこれを構想した。「富嶽」は主翼の長さが六十五メートル、爆弾を搭載した重量が百トンである。これだけの重量の飛行機を離陸させるには、あらゆる点での革新が要求された。軽快な戦闘機からみれば鈍重そのものである。たとえばジャンボ機が乗客と燃料を満載して離陸する様子を思い浮かべてみよう。まずは長い滑走距離を必要とするから、今までの滑走路では長さと耐重量に間に合わない。空母のように離陸方向に向かって傾斜をつくれば離陸ができると計算した。

 エンジンは技術の結晶であり、一基五〇〇〇馬力を六発搭載するから、合計三〇〇〇〇馬力となる。一九四二―四三年ごろの日本メーカーの実用エンジン出力は一基一八〇〇―二〇〇〇馬力であり、二五〇〇馬力が試作段階にあった。高高度で高速回転する耐久性のあるターボチャージャーの実用化がエンジン開発の一つの鍵であった。飛行機は偏西風を利用して一万メートルの高度を飛ぶのであるから、酸素供給装置、気密室、暖房などの乗員保護室が必要であった。エンジンと機体のいずれをとってもこれは「夢」であった。

 このころ東条英機は内閣総理大臣にして陸軍大臣、軍需大臣を兼ねた独裁者であり、不足する航空機資材代替用に木材や竹の資源化を考えていた。ハイオクガソリンや潤滑用オイルが不足していたことはいうまでもない。軍需省で航空機政策を担当したのが遠藤三郎である。遠藤は本土空襲が間近になったから爆撃機製造に反対し、一機でも多くの戦闘機製造をメーカーに要求した。これは時の戦局から判断すれば当然である。軍事官僚は戦局を判断し、戦争に動員できる資源量を計算した。

 中島知久平ははじめ軍人であり、エンジニアであったから、「空想」も「夢」も描けなかった。軍事は「空想」も「夢」も徹底的に排除し、あるのはリアリティーだけだ。彼はその硬直した官僚体制を嫌って野に下った。自ら民間に飛行機会社をおこしたのである。「富嶽」が実現できる客観的環境はなかったが、中島が「富嶽」の夢を描いたことには、民間人たる真骨頂があった。

(上毛新聞 2003年6月24日掲載)