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国立長岡技術科学大学副学長 西沢 良之さん(東京都新宿区百人町)

【略歴】富士見村生まれ。前橋高、東京教育大卒。1970年文部省入省。文化庁文化部長、東京学芸大事務局長などを経て、2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会に出向。今年4月から現職。

国立大学は誰のもの?



◎全経費の半分は税金

 今、国立大学の大改革が進行中です。国会の審議にもよりますが、来年四月には、それぞれの国立大学を管理運営する「国立大学法人」が生まれることになります。また、法人化と並行して、いくつかの大学の統合という話も進んでいます。例えば、群馬大学と埼玉大学が統合を検討中というようなことです。

 しかしながら、こういう話を聞いても、国立大学がどう変わるのか分かる人は、ほとんどいないのではないでしょうか。あわてると、群大が埼玉に行ってしまうのか、というような誤解も生じかねないほど、一人ひとりの県民、市民は具体的な改革の内容を知らないのではないかと思います。

 国立大学の先生がノーベル賞を受賞したり、難しい病気や、重大な事件・事故等についてテレビなどで解説したりするときに、多少関心を持つことはありますが、普段はほとんど関心がないというのが本当のところだと思います。

 国立大学について、厳しい批判があり、改革の方向についても賛否が分かれています。もちろんそのこと自体も非常に重要なことです。しかし、ここで申し上げたいことは、国立大学は誰のものかということです。

 平成十四年度でみると、国立大学のための国の予算は、おおよそ二兆三千億円です。そのうち一般会計から支出されるのが約一兆円です(残りは例えば、授業料や、付属病院の診療収入などです)。つまり、国立大学の全経費のおおよそ半分は国民の税金で賄われているわけです。

 他方、世界のどの国を見ても、高等教育機関の中心は国(連邦制の場合は州やラント=県というケースが多いようですが)によって支えられています。それはなぜなのでしょうか。

 大学は、人類にとってかけがえのない、新しい知見を生み出す母体であり、そこで生み出された新しい知識を、次の世代へと伝えていくことをその使命としています。特に国立大学はその国の知的生産の中核をなすとともに、国民に対し、「人種、信条、性別、社会的身分または門地」にかかわらず、平等に教育機会を提供することが義務とされています。歴史的な事情・背景ということもあるとは思いますが、重要なポイントは上記のようなことにあるのではないでしょうか。

 国立大学に向けられた厳しい批判や、改革への要請は、「本来の使命を十分に果たしていないのではないか」という国民の声なき声と受け止められるべきだと考えます。

 法人化後も国立大学の存続にとって、国による支援が不可欠であるならば、各国立大学は、担税者である国民に対し、教育研究の動向や成果、管理運営の現状・将来構想などについて説明し、理解を得なければなりません。

 市民・県民のみなさんも、「私の税金で支えられている大学は私たちの期待に応えてくれているのだろうか?」と自分の子供をみるように見守ってほしいと思います。

(上毛新聞 2003年6月21日掲載)