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元高等学校長 山下 隆二さん(高崎市正観寺町)

【略歴】群馬大学芸学部卒。東京都中野区立中央中や藤岡工高、渋川高に勤務、東毛養護学校伊勢崎分校教頭、太田西女子高校長を務める。元東和銀行勤務。

器用と不器用



◎努力に勝るものなし

 私は、今でも不器用だと思っています。仕事を覚えるのは遅い、機転は利かない、話すのは下手、指先の仕事は不得意など、数え挙げれば切りがありません。しかし、私の経験からすると、不器用も捨てたものでもないと思うようになりました。結果をみると、双方大きな差ではないと思います。

 世の中で何かに優れている人、または上手である人は、過去に相当な経験と努力をした人であると解釈すれば、大体納得できるものです。例えば、走るのが速い人は、子供の時から他の人より走る経験をたくさん持った人で、競走で勝てた自信で、また走る機会を重ねるなどしたため他人より速いわけで、生まれた時から速かったわけではないと思います。走るのが遅い人は、走る経験が少なかった、競走で負けたりして余計走らなくなり、努力もしないために速くなれず、不得意を自分でつってしまうということです。逆に負けた時、悔しくて発奮する人、そして努力する人が意外とその後進歩があり、結果的に優秀な選手になった例は多く聞きます。

 不器用な私が、高校の体育教師になれたのは今でも不思議でなりません。多分よき先輩や仲間に恵まれたのと、中学校のころから人のいやがる鉄棒を毎日やっていたからと思います。群大入学は初等教育科でしたが、体操部入部がきっかけで三年時編入試験で保健体育科に専攻を替え、体育の道に入ったのが私にとって大きな転機でありました。そのころ、自分で気付いたことは、不器用でも回数(練習)を多く積めば、いつかは何とかなる。また、練習を続けていると体力とその技に対する筋力もつき、技が習得しやすくなっていく、ということでした。

 教員になって、授業や部活動の中でいろいろな生徒をみてきました。その中で体育の能力の高いもの、優れた技を持ったものは、小中時代にすごい経験と努力をした者であるということが裏付けされました。部活動で新種目を始める時、習得の早いものと遅いもの、すなわち器用と不器用がいるわけですが、意外と器用なものは取り付きはよいが、長続きしないことがあります。俗にいう器用貧乏ということでしょうか、器用さにおぼれてしまう場合がありました。それに対して、不器用なものは時間がかかるが、休まずコツコツやるので、結果的にはよい成績にまで持っていくという例を多く見ました。当然ながら、器用なものが休まず練習を続ければ、結果はさらによい成績になることは、いうまでもありません。いずれにせよ、努力(練習)に勝るものなしを確信したものでした。

 現在、私は趣味としてコーラスとゴルフをやっています。コーラスは高校時代から延べ四十年ほどになりますが、まだ正確には歌えません。ただ、他のパートの音や伴奏の音から、自分のパートの音をとるのが少し慣れたような気がします。歌うだけで読譜の努力が足りないと思い、反省と課題ばかりです。

 ゴルフは四十代後半から始めましたが、教員の終わりころは練習、コースともあまりできなかったので、上達しませんでした。恥ずかしながら、六十一歳でレッスンプロの門をたたきました。指導を受けながら練習の回数も量も多くなるにつけ、四年たった今、スコアも少しずつ良くなり、八十台のスコアが時には出るようになりました。ゴルフの仲間もいっぱいできました。そしてよく言われます。「ゴルフは、練習と努力が何よりだよ」と。

(上毛新聞 2003年6月16日掲載)