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◎愛情と聡明さが力に 「落ち着いたころかな」と思い、葬儀後十日ほどしてKに電話した。意外にも明るい声が返ってきた。「この世の中、こんなにも暇な時間があるなんて!」と驚嘆していた。 東京の桜も明日は満開だろうと思われる暖かい弥生末日、Kは二十五年介護した夫を見送った。 四半世紀の労をねぎらう言葉を考えながら上京した。「これからは、メリー・ウイドウでね」。斎場でKの姿を目にした時、こんな軽々しい挨拶(あいさつ)は、とはばかられた。Kは凛(りん)とした静けさの中、永遠の別離に耐えていたからである。 大学時代、最愛の伴侶に遭遇、卒業を待って結婚、男女二子を得た。育児期は実家の計らいで、お手伝いをおく優雅な主婦であった。夫も希望通り、都心の出版社で敏腕編集者として張り切っていた。だが、四十半ばの働き盛り、頑張りすぎた報いがきた。脳出血であった。 加療後、杖(つえ)を頼りに歩行はできたが、その後の数年のうち二度にわたり同じ病に見舞われ、回復不能、重度障害者と認定された。「死」を覚悟し、一時は人生をあきらめた。首から上が自由が利くのみになりながら、不屈の生命力があったのだろう。生きる意志が芽生えた。 Kの強い愛情と聡明(そうめい)さが力になり、二人の行動は完全に前向きに進んでいった。Kは運転免許を取得、車いすを愛車に載せ、東奔西走、二人の人生の旅の再出発であった。十三年間に百八十何カ所の寺に参ったという。秩父・四国巡礼である。車いすで行けない山坂道はKが代参、完遂したのである。 病院での治療、中国の気功、インドのヨーガ。言語の筋肉再生のための歌唱訓練。学生時代から馴染(なじ)んだ美術展めぐり。落語好きな夫に同行した寄席通い等々。快癒のために良かれと思うことはすべて実行した。 体の大半が麻痺(まひ)しながら、精魂込めて筆を握り独特の方法で“書”をしたためる技法を編み出したKの夫。昔とった杵柄(きねづか)か、物書きとしての生来の才能を“文”として、その書に加え、弱者を力づける作品に仕上げた。その個展会場での雰囲気の明るさも、Kと夫との明朗な人柄からきたのだろう。 Kと私との出会いは都内の女子学生寮だった。学部も学年も、生まれ育ちも共通点はなく、お互い奇異の発見が面白かったのか、数十年もの付き合いが途切れない。Kの読書量に圧され、博識には舌を巻いた。サイフォンのランプの小さな赤い灯を見つめ、コーヒーの沸くのを待ちながら、消灯時間後の闇の中でボソボソと語り合った。多くを語るKから多くの知恵を授かった。 当時、Kは風になびく柳のごとく、そそとしていた。なよなよとした細い体つきだったKは最愛の夫を失ったせいか、腕や肩に筋肉がつき、柳腰の風情も消えていた。 (上毛新聞 2003年6月8日掲載) |