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野反峠休憩舎勤務 中村 一雄さん(六合村入山)

【略歴】六合村立入山中卒。理容師専門校卒業後、神奈川県平塚市で理容師となる。1974年、六合村に戻り、父とともに野反峠休憩舎を経営。環境省の自然公園指導員や県の鳥獣保護員を務める。

シラネアオイの植栽



◎多くの人の熱意で開花

 昨年の十二月一日から閉鎖されていた野反湖に通じる国道405号も、四月二十五日に開通し、おだやかな天候に恵まれたゴールデンウイークは、残雪の山並みに囲まれた湖を背景に写真を撮る観光客の姿がありました。

 冬の季節風の名残の北風や、夏を思わせる日差しといった、分水嶺に位置する野反湖特有の寒暖の差の激しい気候の繰り返しの中で、残雪は日に日にその量を減らし、ショウジョウバカマやナエバキスミレなど、高原の春を彩る花たちが次々に開花しています。

 そんな中でも、ひときわあざやかな紫が目を引くのが、植栽により復元したシラネアオイです。

 シラネアオイ科シラネアオイ属という、一科一属のこの花は、日本固有種といわれ、残雪の多い地域に多く見られることで知られています。

 かつて、野反湖周辺に何カ所もあった自生地も、笹の繁殖や生育地の崩落などの自然現象のほか、人に持ち去られるといった理由でその数を減らし、健脚を誇る少数の人しか見に行けない花となっていました。

 六合村が、入山品木地区在住の山口雄平さんの発案により、シラネアオイの復元に取り組んで十年になります。

 平成五年、村の有志が奥深い沢で採取した数少ない種を、山口さんが本白根山のコマクサの復元をとうして培った技術で丹精して仕立てた苗から、年々苗の数を増やし、最初の千三百本が植えられたのは、平成八年九月のことでした。

 翌年の五月、雪解けを待ち、半信半疑の気持ちで植栽地に行ってみると、風に揺れる数本のシラネアオイがありました。

 どう見ても花ビラにしか見えない四枚の紫の部分は、花のガクといわれていますが、分類学は植物学者にお願いして、小一時間ほどきれいな花を見ていました。

 五月の中旬からおよそ一カ月にわたり次から次に開花したその年のシラネアオイは、植栽した数の八割を超えました。

 山口さん親子と『地域ふれあい学習』の一環として、参加した地元六合村の中学生とその保護者、役場職員ではじまった植栽も、今では多くの賛同者も参加して行われ、平成十四年までに植えられたシラネアオイは合計三万本を超えています。

 「人の手によって植えられたものではなく、自生のシラネアオイが見たい」という声もないわけではありません。

 そういう健脚組には自生地や開花時期を案内していますが、多くの人の熱意や労力のほか、行政の財政的バックアップも受けて咲くシラネアオイもまた、自生地に行く体力のない人の目を楽しませ、心をうるおすことに変わりはありません。

 「うちの庭にもシラネアオイはありますが、まさか私が生きているうちに、山のシラネアオイを見られるとは思っていませんでした」という、七十代の女性の言葉が、復元に汗を流した人への何よりのねぎらいであり、この計画の成果を物語っています。

(上毛新聞 2003年5月30日掲載)