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◎現代にない魅力に視線 昨今は、「江戸」ブームであるという。江戸に熱い視線が注がれている。特に今年は江戸幕府開府以来四百年の節目に当たる年である。江戸は、江都ともいわれ、水路が張り巡らされた水の都であった。 NHKテレビの人気番組「お江戸でござる」も、江戸人気に拍車をかけている。特に江戸風俗の説明が興味深い。江戸人気は、どこに由来するのだろうか。それは「庶民の生活」にあると思う。庶民の生活に関心が集まっているのである。戦後は「向こう三軒、両隣」とか「遠くの親戚(せき)より、近くの他人」などということが言われていたが、今ではほとんど聞かれなくなってきている。「隣は、何をする人ぞ」という感が強い。江戸の庶民は貧しいながら、人々は寄り添いながら助け合って生きてきた。そこには人情や思いやりがあった。 落語の「熊さん、八つぁん」が住んでいた裏長屋では「大家と言えば親も同然、店子(たなこ)と言えば子も同然」といわれたように、長屋住まいの者にとっては嫁をもらうにも大家の同意が必要だったし、旅に出る時には身元を保証する関所手形を大家に書いてもらわなくてはならない。親子喧嘩(けんか)や夫婦喧嘩の仲裁も大家の日常の仕事であった。長屋は、小さな家が何軒もつらなる棟割り長屋である。通称、裏店(うらだな)といった九尺二間の家が多かった。これは間口が九尺、奥行きが二間の広さである。これは入り口と台所を含めて三坪の広さしかない。江戸庶民の七割がこうした長屋に住んでいた。井戸と便所は共同で使用した。長屋では、大便所と小便所が分かれており。大便は畑の肥料にと近所の農家が持っていった。水は井戸からくみ、水甕(かめ)にためておいた。こんな狭い場所に庶民は寄り添うように共同生活をしていたから、そこには人情や助け合いの精神が生きてきた。江戸での家庭は上層家庭ほど「亭主関白」で、下層家庭ほど「かかあ天下」であった。庶民は女房を満足させるだけの稼ぎがなかったから、女房にえばられたのである。 さて、庶民の楽しみは何かというと、まず第一は両国の花火大会だろう。 隅田川では、五月の末が川開き、江戸っ子は、あと何日と待ちわびていた。両国橋は鈴なり、川面には、屋形船・屋根船などが浮かび「玉屋」「鍵屋」と歓声を上げた。それと、江戸の誇りは、将軍様がご覧になることから、「天下祭」とか「御用祭」とか呼ばれた「神田明神」と「山王権現」が盛大で、両者が一年交代で開催された。 町人の暇つぶしのたまり場は、床屋つまり髪結(かみゆい)床で湯屋とともに情報交換の場であった。そこで、「床屋談議」という言葉も生まれた。かみさんたちは井戸端会議で日常的に世間話をした。江戸の娯楽の筆頭は、江戸歌舞伎である。大衆娯楽は大相撲・寄席・見せ物小屋などである。江戸は女の数が不足していたので、「遊女の城」の吉原は江戸の一大社交場であった。 江戸がブームとなるのは、現代で失われている「魅力」があるからであろう。現代人に失われているものを江戸風俗に見いだすことができるからであろう。 (上毛新聞 2003年5月23日掲載) |