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◎全体を知る真の専門家 各方面で専門分化が進んでいます。建築の分野でも電気やガス、水道をはじめ専門の資格制度は数十を数えるに至っています。それぞれの有資格者でないと工事ができないので、どこかで問題が起きると工程に影響し竣(しゅん)工が遅れます。余分のコストも発生します。 それぞれの専門領域で技術の進展が見られるのは大変結構ですが、それに埋没すると大切なものを見失うことがあるようです。 木造住宅では柱や梁(はり)の接合部などに補強の目的で金物を使用するようになって久しいですが、金物に合う釘(くぎ)が正しく使われていない事例が増えています。兵庫県南部地震で新築まもない住宅でも倒壊した例がありました。その多くが接合部の施工不良に起因すると言われています。金物とそれに合う釘との組み合わせについての詳細な情報に対する関心が薄いことも指摘されます。 体調全体を診て診断するはずが、局所の診察だけで判断する医者が増えているとの指摘もあります。 その担当はあちらです、これはあちらではなく、そちらへ行ってください―。細かく分かれているのでどこで何ができるかわかりません。パソコンの機能をあちこちクリックして探すのに似ています。 細分化が進むに従って、広い視野や先を見る目を持つ人が少なくなったという傾向があるように思えてなりません。本物を見る目をもった人(見ることができる人)が少なくなったようです。「よしやれ、責任はオレがとる」と言う上司も少なくなりました。いわゆる伯楽もほとんどいなくなりました。 ひいてはわが国の文化・芸術の衰退を招いているように思われます。才能ある人、実力ある人は海外へ行きます。海外で評価されてはじめて国内で認められるという例が大変多いようです。 社会の構成がより細分化され続けているためかもしれません。新しい職種が誕生するのは結構ですが、あるところへの依存度が高いと脆弱(ぜいじゃく)さは高まります。 パソコンの普及がこの傾向に拍車をかけているのかもしれません。端的に言ってデータ処理もイエスかノーのみ。パソコン処理ができてもインプットする中身や情報は総じて貧弱のようです。 何ごとによらず否定が先にくる。その場さえよければという感性や自己保身術の醸成が、よりなされるようになったように感じます。 真の専門家は全体を知るところから育(はぐく)まれると言います。他の分野のことや社会全体の様子を学ぶほど、自己の専門性が高まると言います。細分化と本当の専門家の育成は両立させ得るのです。 個々人が今立っているところを全体マップの上で認識するとともに、その全体がどのようであれば私たちがより幸せになれるかを、常に意識して考えることが肝要と思います。 そうした中で、それぞれの分野での専門性を高めることを考える。このステップについて家庭内、職場内、教育現場で取り上げていただけましたら幸いです。 (上毛新聞 2003年5月21日掲載) |