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柴山建設代表 柴本 天二さん(草津町草津)

【略歴】長野県延徳村(現中野市)出身。延徳中卒。群馬建築士会理事、吾妻流域林業活性化センター木材利用促進検討部会長、県木造住宅産業協会理事などを歴任。草津温泉の旅館などを多数建設。

家の環境



◎大切な恥じらいの文化

 環境により心も変わる。凝りにこった室内デザインによる間仕切りと、個々の部屋の密室性は、人と人の信頼性が薄らぎ、恥じらいもなくなる。一方、開放的な間仕切りの中の生活環境では、人の心も尊重する協調性を持った性格とおおらかさ、また、優しさをはぐくむものであり、人が育つ家と育たない家屋は、おのずから判断ができよう。モンゴルから来た先生が、日本には恥、恥じらいの文化というものがあった、といっていた。

 今、日本の大学において講義する先生の言葉から、京都の由緒ある家柄の庭先に見る石庭の白い砂の目を思い出した。庭の掃除と人の心、和む苔(こけ)。逆に、心みだれる雑草とペンペン草の庭。毎日掃除している庭には雑草は生えない。

 何時もきれいに手入れする家の庭にはリズムがある。先生は心和む日本庭園を眺めているうちに、恥、恥じらいの文化に気がついたという。昔の人は一歩ひく顕著な気持ちを皆持っていたようだ。それがなくなってきた今の子供たちのしつけには、開放的な広い和室と作法の部屋が必要だと思う。和の心を支える情緒ある家屋は、歌にすれば「水打ちと/掃除の後の/箒(ほうき)あと/和風の街に/我妻(あがつま)の家」。

 今の若い人にかける信念、恥、恥じらいを忘れ、世の流れ、風、波に乗り、信念を捨てて金もうけに走るような性格の人が何と多いことか。このごろ、法律を盾にする人も多くなったが、法律は法律。独りよがりの生活者には、恥の言葉も通じない。人は皆、信念とプライドを持っているが、恥を忍んで笑顔で対応するプラス思考の考えのもとに、心を開き、共生、協調の心で楽しい生活をしていきたいものです。

 生活に密着した建築基準法の住宅に対する施行令も、不都合があったらすぐに直すべきだと思うが、メンツばかり気にして、恥じる心を忘れた一部の人は、恥を忍んで考え方を変えてほしい。木造の金物に頼る工法、シックハウス症候群のための換気工法は、日本の気候風土の環境や伝統的な木造建築を知る人なら思わしくないと知るだろう。

 金物と集成材の強度、つまり性質も違う木であり、すべてが違うといえる。異質物の集合材、建物を造るにも互いに信念があって、デザインを考えるにしても、外観を考えるにしても「美の民主化」「ものの民主化」「使う側の視点」とさまざまなこといっている。しかし、建物の周りにごみ箱や物置などがあれば、他人からみて美しいとは思えない。

 建物の方位も考えないで家を建っている。環境を考えたなら、周りにゴミ箱もないほうがよい。建物もすっきりしていたほうがよい。なぜゆえ、恥、恥じらいを忘れた国民になってしまったのでしょうか。勤勉家の日本人には、まだまだ残っているはずです。日本人に残る草食文化がもたらす人の和、共生と協調を叫べる民族と信じたいものです。

(上毛新聞 2003年5月20日掲載)