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◎感謝をささげたい思い 現在の社会から見捨てられた道しるべに興味を抱いたのは、八ツ場ダムの工事にあった。なんとか現状のまま草津に至る古道を確認したいと思い、須賀尾峠を下った村落の横壁や対岸にある林の村落を歩いた。数多くの石柱に刻まれた文字との出会いに、その先に至る草津温泉の歴史が深く刻まれていることを感じて、その範囲を広げ、三百基に近い道しるべとの出会いとなった。 中山道倉賀野宿は高崎宿に次いでにぎわった宿場で、日光例弊使街道と分岐の地である。 宿場の入り口にある中山道との分かされにある焔魔堂の傍らに文化十一(一八一四)年建立の常夜灯と道標がある。正面に「常夜灯」、南面に「中山道」、西面に「日光道」とあり、台石に寄進者三百人余りの氏名が刻まれている。その中に、当時活躍した力士の鬼面山興右衛門や雷電為右衛門、行司木村庄之助ら多数の氏名がある。その中に伊香保・四万・沢渡等の温泉地の人たちの名に混ざって、当時有力な草津の湯宿や料亭の人も見受けられる。 中山道を烏川を越えた下豊岡には草津道の分かされがあり、江戸末期の建立と思われる立派な道しるべがある。右の肩に「榛名山」、大きく「草津温泉」の文字が中央にあり、その下に三カ所の吾妻の温泉地があり、右側面には宿場の里程、左側面には「中山道」と宿場が入れてある。 高崎の下小鳥には三国街道を示したものがある。正面に「右越後」下に「ぬまた・さはた利・いかほ・志ま・くさつ・かはらゆ道」と温泉場を標記、「左榛名道」とある。 江戸時代には前橋方面から渋川に行くには橋がなく、白井宿を迂回(うかい)して吾妻方面に行く古道があった。白井宿の中ほどの三本辻に悠然と建っている。正面に「ゑちご・くさ津道」、右側面に「日光・江戸道」、左側面に「ぬまた道」、裏面に「嘉永二年(一八四九)」と建立年が記されている。 安中市の西上秋間恵宝沢には県内最古のものがある。延宝六(一六七八)年のもので山岳信仰が盛んなころ、榛名山や妙義山に通ずる道を示している。 中山道から別れて、榛名神社や草津温泉方面に向かうと、榛名町には数多くの道しるべが存在する。下里見の中原には、自然石の三角型をした元禄六(一六九三)年の「右志らいわ道・左くさ津道」がある。また、上里見保古里の分かされには元治元年に建てられた立派な石柱がある。「左草津道」と深く刻み込まれた文字は実に素晴らしい。側面には「従是三の倉江二里・大戸江六里」と示している。草津を指す道しるべは北国街道にもある。善光寺街道としてのにぎわいは、長野市徳間の草津街道との分岐点に残っている。 「右いい山・なかの・志ぶゆ・くさつ道・左北国往還」とある。中野市に向かう浅野にも、福島宿にも、また、木島平にも、豊野にも草津を指した道しるべが現存している。 そのように広域な範囲に残されている道案内には、今になっても感謝をささげたい思いがする。 (上毛新聞 2003年5月13日掲載) |