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◎大切にしたい日本文化 私は二十年ほど前から、アンティーク着物を集め始めました。今は大変なブームらしいのですが、当時はまだ「古着」という扱いで、「こんな素晴らしいものがなぜ?」と驚くほどの安値でした。何枚か集まるうち、たんすのこやしではかわいそうと袖(そで)を通してみると、小柄な私にピッタリで、今では普段にも、舞台にも愛用しています。けれど、着物姿で外国の方々にお会いすると、とても喜んでくださるのに、日本人には「結婚式ですか? お茶会ですか?」と聞かれるのです。それほど、着物を着ることが少なくなったということなのでしょう。 先日、元東京国立博物館館長で服飾研究家の山辺知行先生とお話しさせていただく機会に恵まれました。九十六歳になられた先生は開口一番、「着物はいいですね。洋服と違って形の面白さじゃないでしょ。いろんな柄の多様さは、ちょっと他の国には類がありません。寒ければ中に一枚着ればいい。形が同じだからこそ、その人の人となりも、趣味も、着方次第で表わすことができる」とおっしゃいました。私たちの話にじっくり耳を傾け、丁寧にお話しくださいました。 私は若いころ大島や久米島など、つむぎや織りの着物が好きでした。その後、アンティークの染めの着物の美しさと思いの込もった手仕事にすっかり魅せられてしまったのです。娘のためにという親の思い、これが好きだという本人の好み、それらをくみ取って丹精して創(つく)り上げる職人の思いと技、着ることのできる日本画だと思いました。着物、帯、帯あげ、帯締め、半襟、羽織などをどう組み合わせようか、色の取り合わせ方もさまざまですし、柄に関しては、さらに多様です。日本独特の竹に雀(すずめ)、月に兎(うさぎ)、梅に鴬(うぐいす)とか、季節の風景や動植物、また俳句や短歌や詩などを想起させたり、物語を演出する組み合わせなど、着物のコーディネートは夢が尽きません。 私は、着物を着る層が薄くなり、値段は高いし、冠婚葬祭の時のみ着るものになってしまった現状しか見ていなかったのですが、手元に集まってきた明治―昭和初期の着物たちは、私の知らなかった着物の世界へ誘(いざな)ってくれるのです。そして今、私が中心に歌っている日本の歌たちの歴史と同時代を生きぬいて今も息づいている着物たちなのです。 昔は、普段は着物を着ていて、洋服は一部の人か特別な時にしか着ませんでしたが、今は逆。着物は高くて、自分で着られないから着ていても不自由。これでは、世界に一つしかない、着物文化はどうなるのでしょう。けれど今、安くて気軽に着られるアンティーク着物ブームだそうで、原宿などで若い男女の着物姿をよく見かけます。個性的で、レトロでモダンな着こなしを楽しんでいる姿はほほ笑ましいかぎりです。私は今年、「賢治さんと遊ぼう」と題して私の歌を聴いていただいたり、皆さんと共に歌い、語り、遊ぶコンサートを催していますが、次回の六月二十九日の前橋文学館では、生きていれば百七歳を迎える宮沢賢治をたどるコンサートにどのような着物のコーディネートにしようか? 若い人たちにも楽しんでもらえたらいいな、と考え始めました。 (上毛新聞 2003年4月24日掲載) |