視点 オピニオン21
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全国・上州良寛会会員 大島 晃さん(太田市龍舞町)

【略歴】群馬大学学芸学部(当時)卒。1963年に太田市立北中の教員になり、97年に同市立太田小学校を最後に定年退職。98年に上州良寛会に入会し、2002年秋に「良寛への道」を自費出版した。

良寛随想(4)



◎心の温もりが表れる

月よみの光を待ちて帰りませ山路は栗のいがの多きに

朝夕、物に触れこころ動くところみな歌なり(良寛)
「歌の辞」、上杉篤興(うえすぎ・あつおき)著『木端集(きのはししゅう)』より

 良寛は日常、折にふれて動く自らの心を、自然に、率直に歌うことを大切にした詩人でした。声を出して口ずさみ自らの心が相手に伝わる調べになるよう工夫して作歌した人でした。

 四十代の後半になって五合庵に定住して万葉集を精読し、その影響を土台として独特の平明で素朴な読む人の心を和ませる叙情性に富んだ歌を作るようになります。

 良寛はその生涯に千七百余首の歌を詠んでいますが、冒頭の歌もその一つです。この歌は良寛らしい、心の温(ぬく)もりが自然に表れている歌です。

 これは良寛の支援者の一人である阿部定珍(あべ・さだよし)が五合庵を訪れたときに詠んだものだそうです。久しぶりに訪れた定珍がひとしきり語りあった後に「それでは、ぼつぼつおいとましましょう」と席を立とうとしたときに詠んだ歌なのでしょう。夜道を帰る年下の友に対して、「暗い夜道は危険ですよ、もう少し待てば月夜になりますよ」と思いやりに託して、もうすこし居てほしい気持ちをさりげなく歌われては、定珍もきっとそれではと、また、腰を落ち着けて座りなおしたことでしょう。酌み交わす酒もまたいちだんとうまさを増したことでしょう。良寛の淳真(じゅんしん)な心が素直に表された秀歌です。

 伊藤左千夫の良寛歌評釈を受けて、斎藤茂吉は「良寛和歌集私鈔」を大正三年からアララギに連載しましたが、良寛の歌を一首一首選んで八十首、丁寧に評釈しています。良寛の歌に対する茂吉の傾倒ぶり、歌論はもちろん、茂吉自身の作歌にたいする姿勢、考え等もよくわかりますのでこの歌の項を一例として引用してみます。

 「何とも云えないやさしい心の歌である。(中略)月読みの光を待ちてといふ句も味わってみると余程(よほど)趣(おもむき)のある句である。万葉集の歌から影響を受けたものであるが、月読みの光を待ちてとは何でもない様で中々言へないと思ふ。『栗のいがの多きに』の句とても実感の句として見て、なほ我等の到底(とうてい)及ばない所がある。(以下略)」

 また、郷土の生んだ優れた歌人である吉野秀雄も良寛に深く傾倒した人です。彼はこの歌は「良寛の代表的秀作。息の楽な、すらすらした詠み口だが、上句の少しも永く友人を引き留めたいという気持ちに、下句の栗の外皮の刺で怪我せぬようにといふ心遣ひの濃やかさと純粋さに打たれる」と『良寛和尚の人と歌』(百四十八ページ)に記しています。

 この書のなかの「良寛歌私解」は二百首にも及ぶ良寛の歌を選び一首一首注解を加えております。良寛歌鑑賞の最高の手引書です。

 左千夫、茂吉の良寛歌評釈は吉野秀雄に受け継がれ完結した感さえあります。

 吉野秀雄著『良寛和尚の人と歌』(弥生選書)の一読をお薦めします。

(上毛新聞 2003年4月19日掲載)